2018年の12月ごろをもって、芸人の活動のほぼを辞めました。
2018年3月、
事務所の社長に「ネタをやめたい絵本を描きたい」と伝えると、
同席していた漫画家・東村アキコ先生に
「じゃあウチで絵の描き方教えてあげるよ」
と言ってもらい、伺った初日にアシスタントとして雇ってもらえることに。
ちなみに私に漫画を描く技術は全くなく、先生の男前すぎる採用でした。
先生のところで働きながら、過ごす生活はそれまでとは別物でした。
小学生のときに、お笑い芸人になるんだ!と思い、高校生でコンビを組んでライブに出てみたり。
ネタをやめる前の数年間は、とにかくお笑いのことばかり考えていました。
そして売れることを考えていました。
2017年には、もう私の興味は完全に少女漫画にいっていたのですが、
少女漫画を描きたいわけではなく、
少女漫画にどっぷり浸かってみたいという、
職業になるのか何なのかわからない欲求だったため、踏み出し方がよく分かりませんでした。
それまでそういうことを言っている人をあまり信じてこなかったのですが、
2017年3月に自分の中で決めました。
よし!あと1年以内に売れなかったら、やめよう!
そうとなったら、やることは決まっているので、更に売れることを考えていきました。
そのときはお酒もやめて、少女漫画もネタも頑張ってみました。
ピン芸人の祭典、R-1ぐらんぷりの決勝に行くんだ!
いつも決勝にいけない私の目標はそこなんだと思いました。
でも、なんかしっくりこない。
そんな中ちょうどこの年から女芸人NO.1決定戦theWが始まりました。
私は、めっちゃくちゃ郷に入ったら郷に従う人でした。
なので、歴史がある、とか今までの優勝者の傾向、とかを自分にハメようとしてしまいイメージと自分へのズレに苦しい時がある。
でも、第1回目のものであれば、なんでもかんでも大丈夫なんです!
自分が郷を作れば良いだけだ!
私に向いているかもしれないと思いました。
優勝して「私は今日をもってネタをやめます!少女漫画を語りまくる人になります!」と高らかに宣言しようと決めました。
結果は、決勝に行けました!
優勝はできませんでした。
そしてその後のR-1ぐらんぷりは3回戦で終わりました。
社長にネタをやめたい旨を伝えました。
2018年の12月ごろまでは地方営業やトークライブなどは出ていたのですが、
ずいぶん量の減ったネタをしない生活は、私にとって別の世界でした。
好きなものを好きなときに作る。
日々、
「私はこんなことがしたかったのか!」
と自分に驚いてます。
一番最初にしたのは、髪の毛をピンク色に染めること。
これをするだけで、人に相談したりして、何かあったらすぐに元に戻せば良いだけと自分に繰り返して美容院でやってもらいました。
私は、理想の自分を描いて、感情すらもそこに合わせていく生き方をしていました。
だから、髪の毛も
「ああピンク色にしたいのに!ネタがあるからできない!」
とすら言えないし思っていることにも気付かない。
「これが1番したい色なんだ!」
と茶色い髪を本心から言っていました。
このブログもそうです。
私は、芸人の頃からネタだったり別のことだったり、とにかくとにかく文字を書くことが好きなんですが、
この2年間、日々あったことや、私の中では大感動の渦!!!!となったことでも、頭の中のメモに書いて終わり。
多分この2年間くらい頭の中では1日2回は更新していました、このアメブロ。
あとメモに書いて終わり。
「それ書いて何になんの?」
という意地悪すぎる言葉で流れていきました。
あと、今じゃないか、とか。すぐその思いは変わるか、とか。
新しいブログをひそかに立ち上げのみしたこともあります。
このアメブロは芸人のときからやってるしなー、別の方が、、とか訳わかんないこと考えて。
noteというサイトに登録だけしてみたりとか。
書きたい気持ちがなければ、こんなにも何巡も何巡もせず、ブログのことなんて忘れるはずなんです。
たぶん凄く書きたかったんです。
で、この度、1つしてみたいことがありまして。
インスタか何かで書こうと思ったときに、
スマホから断末魔のような叫び声が聞こえまして。
ブログ、見たら、
ある日の閲覧数2でした
2…
ブログが可哀想になって筆を取った次第です。
そして、そのしてみたいことを
なんでしたいかという溢れる思いを書こうと思ったら、ここ2年くらい遡らないと訳わからず…。
当時あんなに新鮮だったたくさんの気付きは、今書くと今更感もあり、
その当時書いてあげればよかった、という思いで今いっぱいです。
東村先生のところで働き始めて教えてもらった覚えたてのipad技術で、
2018年6月一冊の絵本を描き絵本大賞に応募してみました。
〆切消印有効ということで、〆切の夜中23:50に自転車で渋谷郵便局にまあまあの距離ぶっ飛ばしてなんとか出せました。
結果は受賞ならず…
東村先生に三日三晩寝ずにやってなんとか描けました、と報告すると、
「それは有意義な時間だったね」
と言ってくれたのを覚えています。
キャラクターのような絵本を描いたことにより、
サンリオみたいな会社作りたい!はあはあ
と思いました。
そして、そのテンションは、物づくりに派生し、
美術系の高校を出ていたハナコの秋山と個展をやろう!と2人で決めました。
その頃2018年夏。
10月開催に決め、個展で出展するものを作り始めました。
が、その頃私が作っていた作品になりそうな持ち駒は、
その絵本、だるまの人形や、だるまのピンバッチ。
あと、チク美ちゃんとういキャラクター。
少なすぎる…
そんなとき、BEAMS BOYというブランドで、1着の洋服に出逢いました。
そこから私は服を作り始めました。
続く