日テレが三沢さん追悼番組 デビュー当時からの激闘を回顧
広島市で試合中に倒れ、急死したプロレスラー、三沢光晴さん(享年46)の名勝負を集めた追悼番組が7月4日(午前1時半~)、日本テレビで放送される。番組は「プロレス界の盟主 三沢光晴 緊急追悼スペシャル」。三沢さんのデビュー当時の試合から2代目タイガー・マスク時代、超世代軍、四天王時代、ノアにいたるまでの激闘を振り返る。
さらにCSチャンネルの日テレG+でも名勝負を集めた追悼番組を特集。6月19日午後5時15分から「プロレスノア 三沢光晴さん 緊急追悼特別番組」、同22日午後5時から「NOAH di コロッセオ」、同21日深夜0時からと同29日午後2時から「プロレスクラシック」の三沢光晴デビュー25周年記念特集回を再放送、7月6日午後11時からも「プロレスクラシック」の名場面を再放送する。
http://sankei.jp.msn.com/sports/other/090616/oth0906161855011-n1.htm
三沢光晴さんの遺影=福岡市の博多スターレーン
http://sankei.jp.msn.com/photos/sports/other/090616/oth0906161855011-p1.jpg
(追悼特番・特集一覧)
地上波 7月4日(土)25:30~26:30放送
「プロレス界の盟主 三沢光晴 緊急追悼スペシャル
・日テレG+
6月19日(金)17:15~21:30放送
「プロレスノア 三沢光晴さん 緊急追悼特別番組」
6月22日(月)17:00~19:00放送
「NOAH di コロッセオ」
6月22日(月)24:00~26:00放送
6月29日(月)14:00~16:00放送
「プロレスクラシック」緊急再放送
7月6日(月)23:00~25:00初回放送
「プロレスクラシック」
プロレスリング・ノア 中継
冬木さんに見せた男気
全日本プロレスを退団し、プロレスリング・ノアを旗揚げして1年が経過した02年。試合ではないが、三沢さんの人柄を表す出来事がある。旧知の間柄であった故冬木弘道さんが自身の大会終了後に大腸がんを告白し、そのまま引退を表明した。すると三沢さんは冬木さんがコメントを出していた控え室を訪問し、「やらなきゃダメだよ」と引退興行の開催を進言。そして、すみやかにその会見の5日後となる4月14日に会場のディファ有明を押さえ、少ない準備期間ながら冬木さんのために最高の引退試合の場を提供した。さらに、その大会で得た収益は、闘病生活に入る冬木さんのためにすべて渡されたと言われており、義理・人情に厚い三沢さんの一面がうかがえるエピソードだ。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/text/200906170001-spnavi_1.html
高山復帰戦で
06年は高山が脳こうそくという重病からの復帰戦をノアで行った。この試合もまた、三沢さんの器の大きさを物語るものではなかろうか。高山は復帰に際し、「やるなら第1試合かメーンがいいね。中途半端はいやだな」とコメントしていた。そして三沢さんが用意したのは「三沢&秋山準組vs.高山&佐々木」(当初、高山のパートナーは小橋であったが、腎臓がん発覚により変更)。これ以上ないカードで、“フリー”の高山を迎え入れたのである。試合も壮絶を極めた。脳こうそくからの復帰である高山に対し、三沢さんは渾身のフルスイングエルボーを幾度となく叩き込んでいく。さらにエメラルドフロウジョンまで放ってみせたのだ。試合後に高山は、これら三沢さんの本気の攻撃に感謝を述べており、リングに帰ってこれたことを実感したという。高山は元々ノア所属であったが、当時の総合格闘技「PRIDE」に挑戦するため三沢さんにその旨を申し入れている。すると三沢さんは、ノアにとって貴重な戦力であろう高山のために尽力し、円満に退団も了承。PRIDE参戦以降もフリーとしてノアマットに受け入れており、今日に至っている。筋を通す人間には筋を通して対応する。高山もまた、三沢さんの男気にほれ込んだ一人であろう。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/text/200906170001-spnavi_2.html
ターザン山本のコラムより
レスラーが時々、言う言葉がある。「リングの上で死ねたら本望だ!」と。しかしあれはウソだったことがわかった。リングで死んだらまずいよ。悲惨だよ。それだけは絶対にあってはいけないことだ。また「夢は生涯一レスラー!」というのも訂正して欲しい。ある年齢に達したらやはりセミリタイヤすべきである。「ノア」は三沢選手が社長だから成り立っていた。もっていた。
石井慧 「プロレスは後頭部から落ちてもそれを受けないといけない」 三沢さんに哀悼の意示す
http://www.sanspo.com/fight/news/090617/fgc0906170506001-n1.htm
北京五輪柔道男子100キロ超級金メダルの石井慧(22)が15日、同じ格闘家として、三沢さんに哀悼の意を示した。石井はこの日、都内の日本テレビで行われた番組収録に参加。生前の三沢さんとは面識はなく、実際に試合を見たこともないが、「総合は技をかけられても逃げることができるが、プロレスは後頭部から落ちてもそれを受けないといけないところもある」と話し、「社長兼レスラーとして、夢を与える商売をしていてすごいと思った」と偉業をたたえていた。
横浜・仁志、三沢光晴選手のテーマ曲『スパルタンX』で打席に立つも… 「しばらくこの曲を使います」と追悼の勝利誓う
http://www.sanspo.com/baseball/news/090617/bse0906170504000-n1.htm
13日に死去したプロレスラー、三沢光晴選手(享年46)と親交があった仁志が、同氏のテーマ曲だった『スパルタンX』で打席に入った。しかし無安打に終わり、チームも降雨コールド負けして「きょうは打てると思ったんですけれど…。お立ち台に立ちたかった」と無念の表情。「しばらくこの曲を使います」と追悼の勝利を誓った。
三沢さんへ初代タイガー、蝶野、みのるが追悼コメント
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20090617-00000032-spnavi-fight.html
昨年12.4後楽園大会で元2代目タイガーマスクであった三沢さんと初対決を果たし、「次はシングル」と考えていた初代は「プロレス復活に向け、団体を越えて復活させようとしていた時に、ひとつの大きな柱がなくなったようなもの」と、肩を落としながらも、「いろんな力を結集して、プロレス復活に向けて頑張りたい」と、三沢さんの意志を継ぐことを宣言した。
三沢さんとは02年にシングルで対戦し、03年にタッグを組んでいる蝶野は「まだ試合をする気持ちができてなかったけど、ひとつ整理をつけて臨んだ。ショックを受けている家族の方や、現場でやっている選手たちが頑張ってる姿に、救いというか、勇気をもらってる。オレも負けないように頑張る」と、自分たちでプロレス界を盛り上げていくことを約束した。
かつてはノアにレギュラー参戦していた鈴木みのるは「三沢に勝てず仕舞いだった。非常に残念だ。もっと肌で体感したかったという思いはある」と、対戦機会があまりなかったことを惜しみつつ、「一番印象に残ってるのは初対戦で食らったエルボー。正直バカにしてたけど、あれは一発で倒せる技だ」と、三沢さんの代名詞であったエルボーの凄まじさを証言。「残念の言葉しか出ないけど、オレはまだ生きてるし、残った人間がプロレス自体を高いところへ連れていかないと。それがオレらの役目だよ」と、三沢さんが目指したプロレスの普及を自分なりに推し進めていくことを誓った。
ライガー、三沢さんに誓う「プロレスを盛り上げていく」
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20090617-00000023-spnavi-fight.html
5.6ノア武道館大会にも参戦したライガーは、三沢さんとの突然の別れに「早すぎる……」と言葉を失ったが、「ここでオレたちがシュンとなって一番怒るのは三沢さんだと思うし、悲しむと思う。いつまでもしんみりしていたら三沢さんに怒られるよ。プロレスがおもしろくなくなったと思われないように盛り上げていくので安心してください」と決意を新たに。サスケも「翌日にはテッド・タナベレフェリーも亡くなり、2人の死は受け入れがたいですが、いつまでもそんなことを言ってもしょうがないので、ライガーさんがおっしゃたように、今こそ我々が何かしなければいけない」と、三沢さんが愛したプロレスを守っていくことを誓った。
「橋本さんのときと似た感情が…」大谷が決意の火祭り優勝宣言
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20090618-00000030-spnavi-fight.html
「橋本(真也)さんが亡くなられた05年に佐々木健介を破って優勝したときと似た感情があることは事実です。オマエが獲らなければ誰が獲るんだという気持ちが僕の中にある」と、あえて名前は口にしなかったが、13日に急逝した三沢光晴さんへの思いは大きい。「いま頑張っているノアの選手に対して失礼だと思うので、火祭りには三沢さんの名前は使いたくない。橋本さんのときも『大谷晋二郎が勝たないといけない』とだけ言い続けてきた」と溢れる思いを胸に秘めた大谷。この日の会見の前に三沢さんの霊前に献花してきたという大谷は「みんなに愛されていたんだなと思った」とあらためて三沢さんの偉大さを実感。「勢いのある選手、実力のある選手がいますが、それらをすべてを超越した力で優勝します。ことしは大谷の強さ、プロレスラーの強さを世間にアピールしたい」。忘れられないあの夏から4年。今年も大谷の暑い夏が始まる。
天国の三沢も悲しむぞ…“最後の対戦相手”斎藤彰俊の自宅が嫌がらせなどの被害に
ノアの仲田龍取締役統括本部長が、愛知県内にある斎藤彰俊の自宅が嫌がらせなどの被害を受けていると明かした。斎藤は13日の広島大会の試合中に三沢さんに岩石落としをかけ、その後に三沢さんが心肺停止となり、搬送先の病院で死亡が確認された。斎藤の家族に迷惑が及んでいることを受け、仲田氏は「誰も斎藤選手が悪いとは思っていない。そういうことは一切やめてほしい。三沢も悲しむことになる」と呼びかけた。同氏は斎藤の心情を思いやり「(三沢さんは)首の調子も良くなかったし、他の選手がそういう立場になっていたかもしれない。ご遺族も十分理解されている」と説明した。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2009/06/18/02.html
http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20090618-507826.html
http://www.daily.co.jp/ring/2009/06/18/0002031644.shtml
三沢光晴が死去、対戦相手の齋藤彰俊への非難続出@探偵ファイル
http://www.tanteifile.com/newswatch/2009/06/14_01/index.html
この件を報じた毎日新聞の記事が書き換えられたと指摘している。「「医師はいませんか」との呼びかけに応じて出てきた観客の男性がAED(自動体外式除細動器)で蘇生を試みたという」と当初は書かれていたのだが、「医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという」と改められた。この点について、リングドクターに関する問題を提起。「リングドクターが同行していなければ、選手の生命を任されている会社側の管理責任も問われるだろう」、記述の変更によって「リングドクターが同行していなかったことを、できるだけ記事を読んだ人に気づかせないようにした、と考えても不自然ではないのではないだろうか」と記している。
電脳如是我聞(長尾メモ8のブログ)
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20090614/p1#c
…と、プロレス興行にはリングドクターが常時帯同していないことが問題になっていますが、女子総合格闘技ヴァルキリーのスタッフである長尾メモ8氏のブログのコメント欄において、この件に関して興味深い議論が行われています。
■高倉仮面氏のコメント
経費削減でリングドクターを削って試合をしてた?
これ、僕も疑問に思ったんですが…あるライターの方が明確な回答を出してくれました。月に一回、興行をやれば「いいペース」と言われる格闘技とは違い、プロレスは地方巡業をベースにしています。現実問題、リングドクターを毎日、地方巡業に同伴させるのは費用の問題から考えても難しいんですよ…。だから、大きなプロレス団体は地元のドクターを「ご招待」という形で呼んでいるそうです。
■長尾メモ8氏のコメント
まあドクターに関しては、そういうことですね。医療面に完璧を期すなら、会場にICUを用意するしかなくて。それは現実的に無理なわけで。これは自分の関わっている格闘技の場合ですが、外科治療の応急処置が出来るドクターがまず必須ですが、じゃあそのドクターが他の治療行為をどこまで出来るかといえば、心もとない場合だってあるでしょう。多くのドクターは本業に比較すれば割り合わないお金でやってくれているというのが前提で、それでも何人呼べるかという話で。つまり万全を期すには、外科内科全部必要(という書き方してますが、外科だって専門範囲は多岐にわたるわけで)になってしまい。それは無理だとしか言いようがなく。命に問題があるような怪我の場合は、とにかく妥当な緊急治療をして(だからそれが出来るような場慣れしているドクターにお願いするようにして)、救急車をとにかく早く呼ぶことというのが、まず主催者の考えるべきことだと思います。またよくある靭帯を伸ばしたとかそれ系の日常的に必要とされる治療は柔復系の先生がいてくれた方が助かる場合もあり。AEDだとかなり緊急という感じですが、そこまでいかなくとも担架がどこにあるかとか、それだけでも結構大騒ぎになることも多くて。主催者側も人の入れ替わりがあったりして、「あの人が把握している筈だ」が「筈」で全部いってしまい、いざという時に、なかなかスムースにいかなかったりします。そういう場合、机を担架代わりにするとか現場の知恵もあったりするんですが、結局、場数というか人材なんですよね。まあそんな場数は増えないに越したことはないんですが。安全対策は「もしもの場合をいつも考えておくこと」に尽きるんですが、自戒を含めてついつい後回しになることも多く。自分も比較的場数を踏んでいる方だと思いますが、そういう自分でもこの有様で。次のCFは人の入れ替わりが色々とあるので、ホント引き締めないと……。
三沢さんのプロレス統一の夢、武藤実現へ メジャー3団体でレスラーのライセンス制度導入も視野に
http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20090616-506959.html
三沢の遺志は武藤が引き継ぐ。全日本プロレスの武藤敬司社長(46)が15日、13日の試合で頸髄(けいずい)離断のため亡くなったノアの三沢光晴さん(享年46)の急死を受けて会見。天才レスラーとしてライバルでありながら、同じ歳で同じ社長兼レスラーという境遇として察する思いを吐露。さらに新日本を含めたメジャー3団体で、レスラーのライセンス制度導入を目指していることを明かした。今後は三沢さんが描いていたプロレスのメジャー化、統一構想をリードしていく。
三沢さんは常々「プロレスをメジャーにしたい」と言い続け、乱立する団体の統一化を構想していた。06年にはノア主体のグローバル・レスリング連盟を創設したが、武藤の全日本と新日本の名はなかった。しかし、今年に入って3団体が歩み寄り、構想実現へと動きだしていた。
武藤 すでに3団体で話をしている。ライセンス制は奨励し、コミッショナーのこととかもある。健康管理などは具体的には今言えないが、みんなで検討していけばいい。みんなでまとまるようにしていけばいいと、そう信じて頑張っていきたい。本当に寂しいし、不安だし。かと言って、立ち止まるわけにいかない。
3団体フロント幹部が3月、5月と2度会合を持った。「プロレスとは何か」に始まり、まだ試行錯誤も「リングには誰でもではなく、選ばれた者が上がれる」という考え。健康管理とともにステータスを上げることが、メジャーにもつながるはず。そこでボクシングのようなライセンス制導入の検討が始まっている。
武藤は時には腕を組み、身ぶりを交え、考え込みながら、三沢さんへの思いを語った。4年前には闘魂三銃士の盟友橋本さんを失った。そして、今度は天才レスラーとして比較されてきたライバルが…。
武藤 橋本の時は信じるのに半日かかった。今回は衝撃が大きく理解できなかった。おれ以上のレスラーなのに…。同じ釜の飯を食ったわけではないが、同じ年で生まれてきたときから敵対関係。一選手として比較されてきた。社長兼レスラーとして同じ境遇に、心中を察してあまりあるものがあった。景気後退がプロレス界も直撃。ノアの日テレでの地上波放送が打ち切られた。そんな状況を心配もしていた。
武藤 道しるべのない中、プロレスをどう引っ張っていくのか。同士的存在。25年間で5、6時間話したぐらい。腹を割って、酒飲んで、愚痴ったりしたかった。日テレの分をどう補っていくのか? 集客力も技量も三沢に依存していた。苦しかったのでは…。
04年にタッグで対戦し、パートナーも組んだ。シングルマッチでは対戦はなかった。武藤は8月に25周年記念大会を控え、三沢さんにマッチメークを持ち掛けようと思案していたという。
武藤 おれはかわしたり、いなしたりするが、正直に受け止めるレスラー。リングの上で死ねたら本望と言ってきたが、もう軽々しくは言えない。自分を改めようと思った。夢の戦いは、一騎打ちはどうするんだ? と聞きたい。
天才対決は夢に終わったが、三沢さんの夢は引き継いでいくつもりだ。
三沢光晴さん、年内引退決めていた
http://ameblo.jp/harakiri0524/entry-10281546662.html
緊急企画・プロレスラー三沢光晴さん追悼特集(江川×堀尾のSUPERうるぐす)
http://ameblo.jp/harakiri0524/entry-10280524994.html
プロレスの三沢光晴さん、リングで頭強打し死亡
http://ameblo.jp/harakiri0524/entry-10279984453.html
ノア・三沢光晴さん、試合中に倒れて心肺停止-広島
http://ameblo.jp/harakiri0524/entry-10279968595.html