4月25日(水)
仕事帰りにお母さんといつも通り電話してると
「お父さんが足バッタンバッタンしてるのよねー。なんだろ?」
と言ってたけど、私もその時は知らず、、
「今日暑いからかな?」
なんて話してた
(のちに、身の置き所がない様子、これが見られると余命は24時間しかないと知る。この時に私がこれを知ってたら、ここで訪問看護の人呼べたなと少し後悔)
18:00 実家に向かう(元々予定してた日)
最寄り駅から、田舎道を歩いて帰るの怖くて姉に電話しながら帰る
23時に実家に着くと電気がついてる
「あれー?まっててくれたのかなー?」と入ると
母「お父さん変なの!!」
急いで近づくと、両目がクルクル回って
呼吸もかなり苦しそう
意識があるか確かめるために
「次女だよ?わかる!!?」
と声かけると目を一生懸命見開いて2回頷く
よかった、意識ある
黄疸が凄くて涙も黄色くて肌も黄色
4日間食べれてたい体はガリガリ
慌てて訪問看護呼ぶ
待ってる30分が長い
見てるのも怖くて怖くて
これが死戦期呼吸なのかとソワソワ
看護師来てくれて、呼吸はそこまで苦しそうでは無い
でも血圧は上が60下は測れない
酸素は測れない
脈は測れる時と測れない時がある
「お話いいですか?あともって1週間です。もしかしたら、このまま朝には、、」
と告知を受けるとお母さんがボロボロ泣き出す
どこか私は覚悟してたから泣けない
姉にも急いで帰ってきてもらうよう連絡
そこから心配で寝れず
痛み止めも1時間起きに使う
1:00、2:45
目は時々合うし
手も握れるけどもう冷たい
手足は落ち着きなく動く
3:30
次第に呼吸が落ち着く
でも私は知ってる
このタイミングで落ち着くのは悪化してるということを、、
目はずっと左目だけ開きっぱで瞬きもしない
クルクル回ってるけど時々一生懸命開けようとする
口も半開きのままで、唾液が溜まると飲み込むが飲み込む時苦しそうな音を出す
4:00
39度の発熱
でも脇も上手く閉じれないのにもう39度7
きっとそれ以上あるのだろう。。
5:00
右足は動かしてたが、左足の動きが止まった
ふと、左足と左手を触ると硬直している
左目も閉じたまま開かない
(この理由はのちに医師から、脳腫瘍か脳梗塞になって、片面だけ麻痺が起きたのだろうと聞かされる)
呼吸法も変わって
喉がゴロゴロ言い始める
喉でうがいをしているような音だ
私は、癌の方の残り1週間、24時間以内の説明動画を沢山見た
だから分かった
死が近づいてると
母と姉は仮眠とると寝ていた
慌てて起こす
ここからひたすらお父さんの枕元で3人で家族の思い出話したり、好きな音楽流したり
最後まで残るという耳を信じてお父さんに語り掛けた
7:00
もう、手首触っても脈は触れない
8:00
呼吸法がまた変わり
下顎呼吸になった
母が、見てるの辛いと少し離れてしまったので慌てて呼ぶも中々来ない
8:30
下顎呼吸の間に時々無呼吸になる
お母さんにもう止まるかもしれないことを伝えると慌てて来てみんなで「ありがとう」「大好き」を言い合う
8:41
最後に苦しそうに目をぎゅっと瞑り、もう一度穏やかな顔で目を開けたと思ったら、そのまま息を引き取った
医師を呼んで
死亡確認時刻は 9:16
最後は穏やかな顔で家族に見守られながら
眠るように
72年間の人生に幕を閉じました🌈
私が動画で見た通りの最後でした
でも、八割が起きると言われてる、せん妄はありませんでした(いちばん怖いなと思ってた症状)
最後まで優しいお父さんでした
そこからは本当に忙しかった
悲しむ暇もなくあれやこれやと今日まで動きました
たくさんの人も会いに来てくれた
お父さんは本当に愛されてたんだなと実感しました
子供とも3日間も離れて生活した
気にかける暇もないくらい忙しかった
旦那も気を使って写真も送ってこなかった
まだ火葬とお葬式が残ってる
今葬儀場混んでて、予約取れないから
前火葬、葬式と進む。。。
今は、3日も会ってない子供たちに会いに1度帰っている
悔いも後悔もない
タラレバは少しだけあるけどね
でも家族で看取れたこと
在宅医療出来たこと
お父さんが苦しむ時間は短くて
お父さんらしく過ごせた時期が長いこと
それだけは本当に良かったと思いました
今はただただ寂しいです
お父さん、大好きだよ
沢山沢山ありがとう
お父さんの子供で本当によかった
空からもずっと見守っててね☁️
余談
死の直後は口がぽかーんと空いて、右目は半目空いてた
でも自然とどちらも閉じた(完全では無いけど)
訪問看護の方も、口閉じてることに驚いていた
参考にしたYouTube↓