こんにちは。ちょびです。
7年前のちょび娘の中学受験。
奇跡的に合格最低点にて
地元の富裕層のご子息が多く通われる
私立中高一貫校に進学が決まりました。
我が家は、夫はそれなりに裕福で
私は貧乏と言うアンバランスな家庭(^◇^;)💦
夫から生活費を毎月年金分程度
受け取ってくらしている専業主婦です。
こちら受験結果です。
3月のこの時期
私は2年ぶりに娘を連れて
実家の両親の元へ行きました。
娘には学校の制服を着せて。
2年前、大喧嘩をして
別れたきりになっていたけれど
その間は
兄に両親を任せておいたんだし
色んな迷惑事を起こしたとは言え
きっと変わらず過ごしているはず。
そして
きっと両親は
ちょび娘をみたら喜んで
以前と同じように
笑顔で
「あらあら〜😍」
と小走りで出迎えてくれるだろうと
心躍らせて
2人で会いにいきました。
ところが
実家の敷地に続く道の様子が
何かおかしい。
いつも父が丁寧に草刈りをして
草の青い香りが漂っていた
田んぼの間の小道は
畦が崩れかけて
雑草だらけになっていました。
家も人気がなく
薄暗い玄関を開けて
居間に入ると
呆然とこたつに座っている母と
体調が悪いのか
横になって動かない父の姿がありました。
私が援助をしなかったために
生活費が足りていなかったのでしょう。
2人とも
浮浪者のような身なりになっていました。
それでも
両親は私たちに気づくと
徐々に正気を取り戻してきて
あら
よう帰って来たね!!
一生懸命急いで起き上がって
精一杯明るく元気に振舞っていました。
中学受験準備の2年間
兄に両親のことを頼んでいましたが
兄は両親の生活を
全くサポートしていませんでした。
ただ、生きているかどうか
確認していただけ。
ただ、両親が弱っていくのを
見ていただけ。
衝撃でした。
兄に両親を任せた自分を責めました。
ちょび娘を中学受験させたことを
強く強く後悔しました。
でも
両親は私たちに恨み言は何も言わず
ただ娘の合格を喜んでくれました.
父も母も
ちょび娘には
無条件に
愛情を注いでいたんです。
兄に対するように
実家の継承を期待するわけでもなく
私に対するように
世間体を整える苛立ちもなく
自分たちの優越感のためでもなく
可愛い孫娘の成長に
目を細めてくれました.
私はその時、とにかく、
早く沢山ごはんを食べさせてやりたくて
お鍋をたくさん作って
2年ぶりに4人で食卓を囲みました。
ちょび娘は
ぼろぼろになった両親を目の前にしても
以前と変わらず
じいちゃん ばあちゃん
と話しかけて
明るく懐っこく膝に乗ったり
抱きついてみたりして
戯れついていました.
父も母も
とても幸せそうでした。
その夜は
私と両親も
お互いに諍いになるような言葉を飲み込んで
母と父と私、3人の人生ではじめて、
娘のお祝いの家族団欒を壊さないように
お互いの気持ちを慮って
そっとそっと
優しい時を過ごしました。
父がお酒を飲まなかった
(お酒に飲まれなかった!?)
最初で最後の晩餐となりました…
両親は、
本来は愛情豊かな人だと思います。
ただ「家」や「伝統」
「度重なる不運」に振り回されて
真っ直ぐに生きる道を見失ってしまった
哀れな愚か者。
愚かな両親に育てられた
兄も私も愚か者。
せっかく貧しい中苦労して
名門私立男子校に送り込んだ兄は
当たり前の親子の愛情を
通わせることが出来ず
傾いた旧家を
立て直すことはありませんでした。
私は私で
仕事を捨てて経済的に夫に頼り切り
専業主婦であることに何の危機感も持たず
実家の窮状を深く調べもしなかった。
情けない兄妹なんです。
数日後
実家から出る時、
帰省しなかった2年で貯めた帰省費用分を
両親に手渡して帰りました。
普通は親からお祝い金を受け取るもののようですが
私にそのような感覚は皆無です(^◇^;)
そんな出来事もあり
娘の小学校の卒業式も
中学の入学式も
両親への罪悪感ばかりに囚われて
あまり喜ばしい気持ちになれなかった…
私にとっては
そんな味気ない
中学受験の締めくくりとなりました。
娘は喜んでいたと思います娘)わーい
私の実家と決裂したがっていた夫が
一番ほっとしていたかも知れませんね。
読んで下さった皆さま
ありがとうございました。
空き家メンテの必需品
軽いのがラクチン