(受験のお話19)中学受験生の母、実家の両親に悩まされる | 50代主婦いよいよ実家じまいがやってきた

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明治の初めから4代続いた実家が、いよいよ幕を閉じようとしています。決して円満とは言えない家族でした。でも今はただ、寂しいばかりです。

こんにちは。ちょびにっこりです。


受験生の皆さま

そしてその親御さんたち


今は一番気持ちを高めて行く時期ですね❗️



気持ちで負けないように


"家族みんな"が笑顔になれる時間


大切にして下さいね☺️



リラックス♪リラックス♪

ニコニコ





さて、


タイトル通り

ちょび娘が小5〜小6の頃は


私の実家の両親が

二人とも

それぞれに問題を抱えていた

時期でした。




こちらの記事の通り


私の娘の中学受験は


私の両親の不始末が引き金となり

夫主導で始まりました。


夫は娘に対し

最良の教育環境を与えることで

私の実家の

負の連鎖を断ち切りたい

と考えていたのでした。


そして

最終的に

私もガッツリその計画に参入しました。



子供の受験期に


婚家や実家の両親が

心身ともに健康でいてくれること。


健康であろうとしてくれること。


あるいは


不調があったとしても

周囲を巻き込まないように

努力してくれること。



私には

奇跡のように思えます。



無事に受験が終わったら


どうかどうか


そんな親御さんに


感謝の気持ちを


たっぷり伝えてあげてくださいねにっこり



👴👵




ちょび娘の受験期は


私の実家の両親が

周囲に大変なご迷惑をかけるのではないかと

常に気がかりな2年間でした。



幸い、両親の監視(⁉️)は

兄が引き受けてくれましたが、


たびたび遠方に住む私のところに

町の役場から連絡が入ってきました。



主には車関係です。




父は絵に描いたような

危険な高齢者ドライバーでした。




田舎暮らしのため


両親にとって

足の悪い自分たちの移動手段として

車は生活になくてはならないもの。


兄は親の行動の監視はしていましたが

生活サポートは全くしていませんでした。


父も公的支援を頑なに拒否していました。


さらに


父にとって車は


認知症疑いで手のかかる母を

外に連れ出し

なだめるためのものであり


足の悪い自分が自由に移動でき

母から離れて

1人になれる大切な空間でした😢



ここまでは、

うっかり同情してしまう状況なのですが…




父は若い頃から

常に飲酒運転をしていました。




そればかりか


父は当時

「老人性てんかん」を抱えていました.



ある日

母を乗せて車の運転をしている最中

体調不良になり

なんとか駐車したコンビニで

意識を失い救急搬送されました。


その時、

病院で「てんかん」と診断されたのですが

母が病名を恥じて

治療を受けさせなかったのだそうです。


これは

父が亡くなってから知りました。



兄がその間、

父の状態を知っていながら

無視していたことも

父が亡くなってから知りました😢



このように体調の悪い中でも

父は車に代わる公的支援を

頑なに拒否していたのですね。


母も体裁を気にして

車を手放すことを許さず

父に医療を施す気配もありません。



その頃


父は顔色が悪く

げっそりとやせていました。


身なりも清潔とは言い難く

まさにボロボロになっていました。


それなのに


車を手放し

病院で検査して欲しいと

両親にお願いしても

全く話が通じません。



様々な案を必死に探して提案しても、

両親が書類に捺印してくれないことには

どうすることも出来ないんです。


この虚しいやり取り…





しばらくの間

父はたびたび自損事故を起こしました。



娘の受験期にこのような状況でしたので、

私自身は

何度も受験をやめさせたくなりました。


子供に受験をさせている場合ではない…


受験費用の金額があれば

両親に何かできるのではないか…


常に悩みと罪悪感が付きまとう状況でした。



一歩間違えれば

人さまの大切な命を

奪うかもしれないのです‼️




数年間

自損事故だけで済んだことは

単なる偶然の幸運だったと

今でも背筋が凍る思いです。


🚗



さらに


いよいよ受験本番という

小6の冬は

ボヤ騒ぎで役場から連絡がありました。


父が家の周囲の枯れ草に火をつけ

それが家屋に燃え移ったのです。


一昔前、

うちでは休耕期に

よく野焼きをしていましたが


ダイオキシン問題で

野焼きが禁止されてからは

父が

だだ広い田畑に

ひとりで草刈機を回していました。


この時火をつけたのは

草刈りが面倒だったからと

言っていました。




家屋は幸い

雨どいの一部を燃やしただけでしたが


火は田畑にも広がり

地域を巻き込む大騒ぎになりました。


🏠



今でも私は思うのです。


このボヤは

父が故意に起こしたものではないかと。


自分たちも含め

家ごと燃やしてしまおうとしていたのでは…



そんなに切羽詰まった状況においてですら

「体裁」を守るため

「家柄」を守るため

頑なに虚勢を張り

周囲の支援を拒否し続けた両親でした。


*家柄といっても

片田舎の土地持ちなだけです。


本家は今でも立派にご活躍ですが

交流はほとんどありません。


両親に

学歴や社会的な肩書などはありませんし

私たち子どもにとっては

ただ貧しいばかりの家庭です。



こうして思い起こすと


夫が娘の中学受験に舵を切ったことも


両親が


人の命を奪うような事件を起こすこともなく


受験を終えることが出来たことも


本当に


運が良かった!



それ以外に言葉が見つかりません.



話はそれますが


能登地方の受験生の皆さまも
比較にならないほど

大変な葛藤を抱えた中での受験です。


ご自分の力を出し切れることを

心から願っています。




受験だけに集中できる環境にいることは

幸せなことなんですね。





がんばれ受験生‼️




長々と失礼しました