4月1日いわきプリンスホテル全室通常営業再開までの軌跡
3月22日 社長たちがいわきへ戻った。このまま落ち着けば27日にはいわきへ帰ることになった。
短い時間のなかで水道配管の技術を身につけるために本気で働きながら学んだ。
いわきに残ってる友人たちに聞くといわきに戻ってる人は少なく、むしろどんどん非難していなくなってると聞かされた。
だが僕と伊東はいわきへ戻りいわきプリンスホテルを復興させる道を選んだ。
3月27日 4月中旬から働く予定の佐藤さんが復旧作業のお手伝いに来てくれたことをいわきへ着いてから聞いた。
いわきに帰ったら海沿いを見てみると決めてたのでホテルへ戻る前に寄ってみた。その光景は・・・・・・・・・・・・・・・想像を絶する光景だった。津波の被害でたくさんの方々のお住まいと尊い命が犠牲になった。僕たちはこの事実をしっかりと深く心に刻み生きていこうと心に誓った。
3月28日から朝から晩まで僕たちの復旧作業は休むことなく続けた。
なぜか焦る気持ちは全く無かった。
社長と決めたことは、通常のサービスができる状態になるまでは、どんなに予約の電話がなってもお断りせざるを得ない。きちっとしたサービスができる部屋にしてから売ろう。これが3月17日からいったんホテルを閉めた理由だった。
いわき市内では震災直後も営業を続けていたのはここいわきプリンスホテルとソレイユのみだった。
続けられた理由は大震災にあっても、一日3回連続の震度5強を実際くらっても建物自体がとてもしっかり建築されていたので、ほとんど被害もなかったおかげさまだった。このホテルは平成元年に亡くなった会長が創業した個人のホテルだ。改めて会長に感謝している。
全ての点検作業を終え3月31日には、最上階の客室まで最低限必要な正常な状態に戻すことが出来た。
焦らずじっくりやった割には早い復活となった。
スタッフ人数が現状は震災前の五分の一となった今震災前よりも問い合わせやご予約が多く稼動も上がっている。現在残ってる4月2日現在・・・震災直後から苦楽を共にしてきた従業員はどんなに少人数のスタッフだろうと生きるか死ぬかを肌で感じてきたので戦争中の兵士のような極めて高いモチベーションを持つことができた。僕たちは、宿泊してくださるお客様がいる限り絶対に逃げない。少人数でも最善を尽くしいわきプリンスホテルを一から盛り上げていく覚悟は決めている。
こんな状況だからこそお客様には少しでも安心できる頑丈ないわきプリンスホテルで、できる限りの真心のこもったサービスで癒してあげたい、これからもずっと癒しの宿でありたい。
この思いを胸にいわきプリンスホテルは再スタートをきった。。。。。
ここからお客様とのドラマが永遠に続いて行きますように・・・・・。
いわきプリンスホテル 統括マネージャー 原田 雄介