14日以降と社長命令 | いわきプリンスホテル

14日以降と社長命令

14日は妊婦で体調もあまりよろしくないがフロント松本がホテルに出勤してくれた。おかげさまで社長、部長、伊東と僕の4人でまた水くみに行くことができた。

この日のナイトも、もちろん伊東と僕だ。この日は8階までお客様が入った。

外国のお客様については全員チェックアウトした。何故かと言えば地震の影響で起きた原発事故をものすごく恐れていたからだった。

仕事そっちのけで交通機関が停止してる中にも関わらず全員帰った。

15日朝、応援部隊と双葉から避難して泊まっていたおばあちゃんだけになった。

朝になり部長も社長も出勤した所で一階レストラン奥で仮眠に入った。 だが いわき市に屋内退避勧告出されたよ と言う言葉で二時間もしないうちに起こされた。

そしてついに社長命令が下った。

内容は 若者は東京に一先ず避難しろ、もし社長たちに何かあったら、その時は僕ら若者で立て直せ。と言う戦争時のような命令だった。

何があっても僕には3代目として立て直す使命がある。辛く苦しい別れになったが東京に避難することになった。

無料送迎車で何も持たずに夕方出発。4号線を下り栃木県を抜け埼玉経由の東京へ着いたのは翌朝の7時だった。

着いたその日に居候先の主より ただうちにこもっててもしゃあないだろ と水道の配管工事の仕事を明日から働けるよう手配してくれた。

いわきで水で散々苦しい思いをして 東京ではその配管工事の仕事。不思議な縁である。

伊東も僕も現場作業は初めてでは無いため即戦力にもなれた。
いわきプリンスホテルの周りの地盤が結構沈んだので いわきへ帰ったら水道の配管工事を自分たちでできるよう1日1日が日々勉強だ。

いわきのことを考えるとジッとただ避難してるなんてできるはずなかったし、配管工事の技術も学べるなんて僕らは非常に恵まれていると感謝している。
(つづく)