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これからバーベキューパーティ(*⌒▽⌒*)


神戸市東灘区本山北町2-6-24 JR摂津本山駅から甲南山手駅に向かうバス通りから山側の細い裏道にあるオーガニックなお店。


風の吹くまま気の向くまま-ミドリカフェ

有機米ランチ1000円。



風の吹くまま気の向くまま-ミドリカフェ

パスタランチ1000円。



風の吹くまま気の向くまま-ミドリカフェ

ヘルシーでおいしー、気持ちのいいお店ラブラブ!



風の吹くまま気の向くまま

思ったらすぐ来る!

早い早い!

ハワイ製本格ウクレレ

楽器やに買いに行くとちょうどウクレレフェアで25%引き!

レッスンの段取りも音楽家の知人がすべて整えてくれた。

あとは腕を磨くだけ(^ε^)♪



風の吹くまま気の向くまま

少し前から気になっていた楽器がある。

じつは、ワタクシ、学生時代はマンドリンクラブに没頭し、コンサートマスターも努め、アマチュアレベルではあるがマンドリンやギターなど弦楽器はけっこう弾けたクチなのだ。

で、30年まったくやってないので今は弾けないガーン

ところが私の前にそれを習っている人が現れたり、ウクレレが妙に気にかかる・・・


奥さんや周りの人に話すと、

「あ~、あの牧ナントカという人がやってた、ア~ア~ア・ヤンナチャッタ~ビックリマークっていうアレね」

という反応が必ず帰ってくる(ノ゚ο゚)ノ


そうそう、たしかに漫談で使うアレですよ。

でもね、漫談専用楽器ではないのですよ。

私は以前からハワイアンの音楽が好きだ。癒しの音楽だと思う。

そしてジェイク・シマブクロの演奏などを聴くと独奏楽器としての可能性も感じていた。


3日前に地元の新聞にハーブオオタという人のコンサートの小さな記事が載っているのを目にしてしまった。広島市立大学でチャリティーで行うという。その人のことはまったく知らなかったがハワイ在住広島県からの移住の親を持つ2世の74歳でウクレレを独奏楽器に高めたと人いう。さっそく電話して申し込んだ。


今日がその当日。

腹の出た老人がステージに出てきた。曲目を書いたパンフもない。

簡単な挨拶のあと、彼の手とその小さな楽器から繰り出される音、音楽、芸術に驚嘆の目と耳を向けることになった。

いきなりガーシュインのラプソディーインブルーに、始まりハワイアンはもちろんのこと、ショパンやドビッシーなどのクラシック、ビートルズや映画音楽、ボサノバやタンゴ、そして客席に向かって「リクエストしてください」と


「みんな静かですねぇ~。客席が静かだとキンチョーするんですよ」

と笑わせたあと、リクエスト曲を即興で弾きはじめた。

その即興音楽はそれまでに弾いた用意された曲と全く同質の音楽性、いや芸術性の非常~~~に高いものだった。

何度も体中鳥肌が立ち、目には涙が浮かんできた。

すごい、すごすぎる・・・


この小さな楽器の可能性をここまでに高めたこの人はいったいなんなのだろう。

楽器奏者というのではなく、音楽の神さまが降りてきているのを感じた。

事前になんの予備知識もなく目に付いた記事で直感的に行ったコンサートだったが、ものすごい感動と幸福を受け取った夜だった。




風の吹くまま気の向くまま

昨日、神戸三宮のバスターミナルに着いてふと見ると明石焼きのお店があるではないか。「そばめし」は食べたけど「明石焼き」は食べたことがない。やはり名物は食べとかないと、とお店に入った。


サービスランチ600円はたこ飯、たこ珍味、こなす漬物と汁に浸かったたこ焼き5個。

箸でつまむとトロトロで持ち上がらない。たこ焼きというよりたこ入り卵豆腐という感じ。


トロトロというと、自分の中の硬いかたまりが昨日でかなりトロトロになった感じがする。

明石焼きを食べたから・・・そんなアホな(ノ゚ο゚)ノ





風の吹くまま気の向くまま

先週末、広島のセラピストさんが私の施術を受けに来られた。


土曜日、神戸で大阪のヒーラーさんと意気投合、お話をした。


日曜日、大阪の接骨院の先生が私のヒーリング講座を受講しに来られた。


月曜日、山口の整体師さんが私のヒーリング講座を受講しに来られた。


今日火曜日、福岡、大阪、山口の先生から来週の講座、施術の予約が入る。


最近、治療家、ヒーラーといった方々が私の元に押し寄せる。


これは、どういった現象だろうか??



風の吹くまま気の向くまま



自分が隠したもの、否定しているもの、受け取れないものが目の前に次々と現れる。


それを「自分である」、と受け取らない限り、堂々巡りが際限なく繰り返される・・・


目の前に起こる現実とはいったいなんなのか。自分という肉体からの一方的な見方考え方からはなにもわからないし、なにも解決しない。


「自分である」とは絶対に認められないような対極にあるような存在を受け入れたとき、そこまで自分の世界(空間)が拡がったということ。


本当の自分はこの肉体ではなく目の前に映る世界(空間)全体なのだから。


自分の空間の対極の極みがパートナー。自分を知るために創造した空間の対極。


もともとこの宇宙空間は自分が創造したということ。


そして対極を受け入れ、自分自身を知り、もともといた創造の次元へ帰っていく帰り道が人生。