今は天国にいる私の親父様だが、私が三十一歳の時、私に言ったことがある。
「今はお姉ちゃんのことだけで動いてるけど、俺も母ちゃんも、美伊のことも愛してるからな」
三十一歳の娘に「愛してる」なんて言う家は、まずないだろう。
言わせてしまったのは、私だ。

それは、姉貴の結婚生活がかなり危なくなってきた頃。
姉貴と電話で話していたら、姉貴は言った。
「私、もう離婚するよ」
私はびびってしまって、電話を母にバトンタッチした。
姉貴が帰ってくる? また姉貴と一緒に暮らすの? 冗談じゃない!
私はそう思った。
何故って?
それは、姉貴が結婚する前までさかのぼる。

多分姉貴が勤めていた会社の社風が問題だったんだろうけど、姉貴が鬱になった。
鬱になった姉貴は、病気のイライラを、全て私にぶつけるようになった。
両親に言っても。
「お姉ちゃんは病気なんだよ、可哀想なんだよ、優しくしてあげなさい」
と言うだけ。

姉貴が病気だから、姉貴の方によってしまうのは仕方がない。
だけど、6:4とか、せいぜい7:3くらいにしてほしかった。
だけど、私から見た両親の、姉貴と私への気持ちの入れ方は、10:0だった。
「どうしてお姉ちゃんは10で、私は0なの?」
私がそう言ったら、母はなんて言ったっけ。そんなことないとか言ったと思う。

まあ身内だし、具体的に何があったかはここでは言わないが。

そんな姉貴と結婚したいという男性が現れた時は、びっくりしたと同時にほっとした。

その姉貴が離婚して帰ってくるというのだから、私はアパートでも借りて、別に暮らそうと思った。
だけど、父は許してくれなかった。
親の許可をもらう歳ではなくても、親の許可をもらわないといけない、親の許可をもらうことさえできない家庭も、これまたあるのだよ。
前述の、母にバトンタッチした電話で、母は言った。
「離婚しなさい」
またあの地獄の日々が戻ってくるのかと、私は落ち込んだ。
そんな私を、父は怒鳴った。
「無理してでも明るくして、お姉ちゃんを迎えろ!」
ああ、やっぱり姉貴は10で私は0だ。そう思った。

かくて、姉貴は帰宅。
姉貴の離婚手続きや、荷物の持ち帰りで、両親と姉貴はばたばたしていた。
そんなある日、私が残業で遅くなって、姉貴と別によるめしを食べていた時かな。
親父様は、冒頭のセリフを言ったのだ。
私のことも愛していると。
私が、言葉にしていってくれないとわからない、分からず屋だったから。
親父様も、言うの照れくさかったと思う。
ごめんね、お父さん。
そして、ありがとう。

あ。
今の私は、姉貴と仲良くしていますので、ご心配なく。