うちの母は、私には、勉強勉強と、かなりうるさく言っていたと思う。
私には、ということは、姉にはあまり言っていた記憶がない。
ま、姉は、言われなくてもちゃんと勉強してたからね。

 

そんな私と母の間には、テレビや映画、みんなで遊びに行くこと等の攻防戦もあった。
私にしてみれば、母は私に、勉強以外の何もしてはいけないみたいな感じだったのだ。
勉強しないと怒られるのではない。
勉強以外のことをすると怒られたのだ。
と、思っていた、たぶん思い込みだと思うけど。

小五、小六の頃のこのエピソードは、母が私の身体を心配してのことだと思うが。
地区の育英会でのピクニックのようなものが、毎年あった。
それが、小五と小六の時は、母は回覧が回ってきても私には見せずに欠席に○をして、次の家に回してしまった。
友達からそのピクニックの話を聞いた私は、母に言う。
「○○へ行くって話はないの?」
すると母は。
「美伊に気づかれないように黙ってた」
私「どうして?」
母「だって、その前の週に、合唱団の練習があるじゃない!」
子供にしてみれば、合唱団があろうが雨が降ろうが槍が降ろうが、同じ日でなければ大丈夫と思えるのだが、
母は、二週続けて日曜日に予定なんて入れられなかったのだろう。
ま、私も丈夫な身体は持ち合わせてないからね。

 

それから三年、私も受験生となった。
それでも見続けたのは、「ザ・ベストテン」。
母は、母なりに計算したのだろう。
私がテレビを観る時間にぶつけてお風呂に入ってもらえば、勉強の時間が増えると。
そこで母は言う。ベストテンが始まる五分前に。
「美伊、お風呂に入りなさい」
しかし!
この週は、私が花の八十二年組で一番好きだった、堀ちえみちゃんが初登場する週だった。
どうしても観たかったので。
「ベストテン観てから入る」
しかし、母も負けない。
「それじゃ寝るの遅くなるから、今入っちゃいなさい」
というわけで、私は五分でカラスの行水をして、テレビをつけると、ちょうどちえみちゃんが出ていた。
だけど、横で母が。
「こんなに早く上がってくるなんて。ちゃんと洗ったの?」
とかなんとか言って、ちえみちゃんどころではなかった。
もし私がプロの小説家かエッセイストになって、有名になって、テレビに出て、
「好きなベストテン名場面を見せてあげます」
と言われたら、絶対ちえみちゃん初登場の場面だ!と、変なことを心に決めてしまった。

 

あと、中三でもう一つ忘れられないのが、FNS歌謡祭。
受験生にこんな長い番組を見せるわけにはいかないと、母は意気込んで、
この日は朝私が起きる前に、新聞を隠した。
私は、その日にFNS歌謡祭があることを知らなかった。
翌日、聖子ちゃんが受賞したということを、みんなの話で知ったのだった。
だけど、こればっかりは仕方ないと、私は母を責めなかった。

 

以下の話は、半分私の憶測である。
高二だか高三の時に、シブがき隊の「バローギャングBC」という映画が公開され、
内容がとても面白そうだったので、私は絶対に観たいと思った。
確か配給は東映だったのだが、私の住んでいた長野市では、上映されず、別の映画が上映されていた。
その、別の映画が終わった朝、私は朝刊をくまなく探した。映画案内を見ていた。
すると母が。
「遅刻するわよ。早くご飯食べちゃいなさい」
「でも、映画案内見たいの」
「私が見てあげるから、美伊はご飯食べなさい」
というわけで、私は母に朝刊を渡した。
すると、母は言った。
「今日は載ってないよ」
そんなはずはないと私は思ったが、私は学校の公衆電話から、映画館に電話した。
映画館のお兄さんは、
「バローギャングのことなら、今朝の朝刊に載ってますよ」
と言って、なかなか教えてくれない。
「とにかく教えて下さい!」
と私がお願いすると、一日だけ上映されるその日は、テスト真っ最中の日。
私はピンときた。
お母さん、私に映画を観せないために、あんなことを言ったんだ!
この私の憶測が正しいのか、母は本当に映画案内を見落としていたのか、それは永遠の謎。
でも、今でも観れるのなら観たいな。バローギャング。

 

あの頃は日記に
「勉強勉強ってうるせえんだよ、くそばばあ!教育ママめ!!」
と書き殴っていたが。
今回のエッセイの内容は、私が普段ちゃんと勉強していれば、防げたかもしれない。
ごめんね、お母さん。