家に着いて間もなく、マキの携帯が鳴った。
克巳が、早速メールをくれたのだった。
今日はありがとうございました。いただいた花は、部屋に飾ってあります。今、兄嫁は実家に帰っていて、男二人の殺風景な部屋なので、潤いができた感じです。
路子の遺書読みました。路子がそんなにも強く死を意識していたとは、僕も気づいてあげられなくて、今更ながらに悔しく思います。
でも、路子の最後の言葉が、マキさんの手によって発見されてよかったです。
貴重な週末に、わざわざ持ってきて下さり、ありがとうございます。
お台場では楽しかったです。こちらへ来てから、部屋にこもりっきりだったので、いい気分転換になりました。
では、長野に帰ったら、改めてごあいさつに伺います。
画面のその文字を眺めながら、マキは、心に水がしみていくような、不思議な感覚に捕らわれていた。
この気持ちは、何なんだろう――。
*
「すみません、無理に誘っちゃって」
「いいえ」
その週の週末、仕事が終わってから、マキは、夏美を誘って食事に出かけた。
前に、路子と来たレストランだ。
一人暮らしで、料理の得意でないマキだ。食事はついコンビニに頼ってしまう。こういう外食も栄養補給だ。
マキは、夏美に好意を持つようになった。やはり、路子のために泣いてくれた人だという気持ちがあるのかもしれない。
とりあえず、ワインで乾杯した。
「ショップ、どうなっちゃうんだろうね」
ピザをつまみながら、夏美は途方に暮れたように言った。
「噂では、閉店だっていうけど……」
マキの言葉も、尻すぼまりになってしまう。
死者を出したショップは、客が大幅に減り、経営できなくなった。今は休業中である。
夏美も路子の死のショックを拭いきれないのだろう。言葉少なめである。
その時。マキの携帯が鳴った。通話の音だ。
「すみません、ちょっと失礼します」
マキは携帯を持って、店の入口に行った。
携帯を開いた路子は、あっと声をあげそうになった。
発信者は、克巳だった。
だって、克巳は――。
マキは少々混乱しながら、電話に出た。
「もしもし」
「フォレストイン長野の田口です」
「克巳さん? 喋れるんですか?」
「ええ」
克巳の落ち着いた声を聞いたマキは、思わず胸が熱くなった。
「ここ二~三日、体調が悪くて寝込んでいたんですけど、今朝方熱が下がったら、何だか急に声が出るようになったんです」
「そうですか、よかった」
「来週くらいに、長野に戻ります。そしたら、また改めてご挨拶にうかがいます」
「挨拶なんて……」
マキは、挨拶してもらうほどのことではないと思いつつも、心のどこかで、また克巳に会いたいような気もしていた。
「克巳さんの声聞いて、安心しました」
「いえいえ、本当にありがとうございました」
短い挨拶をした後、電話を切って、マキが席に戻ると、夏美はマキに、いわくありげな視線を向けた。
「何かいい電話?」
「えっ?」
「月岡さん、嬉しそうよ」
「そ、そうですか……」
マキは、頬をパチパチと叩いた。
マキが克巳と会ったことを話せば、夏美は怪しむだろう。恋愛をしたことがないマキには、その辺の反響がどうなるかわからないので、その話には触れなかった。
テーブルには、パスタが運ばれている。
「わあ、おいしそう」
マキは取り繕って言うと、早速パスタに取りかかった。
*
「わざわざうちに来なくても、近所の花屋へ行けばいいじゃないか」
文彦は、そう言いながらも、慣れた手つきで花束を作ってくれる。
その日マキは、路子の墓参りに行くため、花を取りに実家に行った。
「まあ、マキが来れば、みんな喜ぶけどな」
「でしょ?」
マキがおちゃらけて答えると、外出していたとおぼしき兄嫁の遥が入ってきた。
「あら、マキちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは、お姉さん」
「今日も、例の人のお墓参り?」
「はい」
遥は、マキをじっと見た。
「マキちゃん、何だかきれいにならない?」
「えっ?」
「そうかぁ?」
と、文彦。
「うん。前は、ボーイッシュな感じだったけど」
「ああ、髪が伸びたからじゃないですか?」
そういえば、一人暮らしを始めて以来、一度も美容院に行っていない。路子のことで、そんなことはすっかり忘れていた。
「ほら、できたぞ」
文彦が、マキに花束を渡す。
「ありがと」
マキは、奥にいる両親にも声をかけて、家を出た。
マキは、墓地の中を、路子の墓めざして歩いていた。
するとどうだろう。
路子の墓の前に、人影がある。
マキは、足音を忍ばせて、そっと近づいた。
それは、克巳だった。
克巳が、路子の墓碑に話しかけていたのだった。
「路子。俺、ちゃんと喋れるようになったよ。だから路子はもう、何も心配しないで……」
克巳はそこで言葉を途切らせ、墓石に涙の滴を落とした。
マキはどうしていいかわからず、泣いている克巳を見ていた。
東京では、マキの前では笑顔を繕っていた克巳だけど。
言葉が話せなくなったほどだ。どんなにつらかったろう。
しばらく泣いていた克巳は、顔を上げた。
そして、マキに気付いた。
マキは、黙って頭を下げた。
克巳も涙を拭いて、頭を下げた。
「昨日の夜、長野に戻ったんです。すぐマキさんにメールしようかと思ったんですけど、遅かったんで……」
「そうですか……」
二人は、話しながら墓地を歩いていった。
「わざわざ東京まで来てもらっちゃって、本当にありがとうございました」
「いいえ。私こそ、案内してもらっちゃって……」
「東京へは、よく行くんですか?」
「そうですね……。年に一度くらい、一人で」
学生を卒業してから、実家の花屋を手伝っていたマキだった。職場の同僚は家族だけだった。学生時代の友人はみんな彼氏優先で、マキはいつの間にか、一人で旅行に行く癖がついてしまい、誰かが一緒だと、かえって気詰まりにさえ感じるようになってしまった。
彼氏がいないって、こういうところに出るのだ。
「私、男の人とつき合ったことがないんです」
言ってみてマキは、とんちんかんなことを言ってしまったと後悔した。
でも、克巳は答えてくれた。
「僕も、路子と知り合う前は、女の子とつき合ったことがなかったんですよ」
「えっ?」
路子は驚いたが、その反面、そうかもしれない、とも思った。
確かに克巳は優しい人だけど、男らしさという点では、他の男の人に負けるかもしれない。女性は男性に力強さを求めるものだから、克巳のようなタイプは、女性にもてないかもしれない。失礼だけど、そう思った。
「僕が養子だとかそういうこと、路子に聞いてます?」
「ええ、少し」
克巳は、母親が援助交際をしてできた子供だと言っていた。
「養子になる前は、親戚の家に預けられてたんです。奨学金の出る学校でないと通わせてもらえなくて、中学も高校も、男子校だったんです」
「そうなんですか」
男子校だったから、彼女ができなかったのか。マキは、さっきのように考えてしまったことを、反省した。
克巳は更に話した。
「今の家の養子になることになって、長野の大学受けたんです。入試の時に、隣の席にいたのが路子だったんです」
入試の日の昼休み、路子が落としたコンタクトレンズを、克巳が見つけたのが、二人の馴初めだったと克巳は言った。
それから、路子は大学で友達ができなかったりしたことが原因で中退し、いくつかの会社に就職したが、どこでも壁にぶち当たってしまって、長続きはしなかった。途中、フォレストインにも就職したが、接客の仕事が向いていないと言って辞めたと言う。――そういえば、路子の遺書にも、そんなことが書いてあった。
そんなことを話しながら、墓地の駐車場に着いた。
お互い車なので、ここで別れることになる。
「それじゃあ……」
マキが言いかけると、克巳は言った。
「またホテルに来て下さい。ティールームにおいしいケーキがあるんです。僕、ごちそうしますよ」
「……はい!」
いけないことだと思いつつも、克巳の優しさに、揺らいでしまうマキだった。