今日は重大発表があります。


私、水無月美伊は、プロの小説家への道を断念することにしました。


私が小説家になりたいと思ったのは、15歳の時。
中学の吹奏楽部で経験した、仲間との友情や、喧嘩したり、恋愛したり。
そういうのを小説にしたいと思いました。


それからは、いろんな小説もどきを、書いて書いて、書きまくりました。
当時私が読んでいた雑誌でも、短編小説の賞があり、
そのたび応募しましたが、箸にも棒にもひっかからず。

二十歳の時に一旦あきらめ、同人界で生きていこうと思いました。


でも、「小説家になれなかった場合の生き方」を
きちんと考えていなかった私は、
やっぱり小説家になるしかないと思い、三十くらいから、
また新人賞に応募するようになりました。
どんなに一次落ちが続いても、応募し続けました。


でも。


力尽きました。


この辺でやめときます。


「小説家になれなかった場合の生き方」は、
これから考えます。


とにかく、子供の頃から、「小説家になる」の一点張りだったから、
受験勉強もろくすっぽしなかったから、大学受験にも失敗したし、
就職してからも、深夜残業が続く会社は、
「私は小説が書きたいんです」と言って辞表を出したし、
彼氏と別れたのも、「この人と付き合ってると小説が書けない」というのが理由でした。
独身を通したのも、理由はいろいろあれど、そういうことが最大の理由です。


親ですか。
中三の時の進路調査で「小説家になりたい」と言ったら、一言。
「ふざけんな!」
大人になってからもう一度言ったら、
「お前みたいに、何の苦労もしないで育った娘に、人を感動させる小説なんか書けるわけがない」と
言われました。

そんなことないよ、私、小説家になって、実証してみせるよ。
と、心に誓ったのですが……。


もうひとつ。
本当は、父も子供の頃「大人になったら小説家になりたい」と思っていたようです。
でも、父が子供の頃と言ったら戦争中。
学校でこのことを言った父は、先生に殴られたそうです。


「小説家になりたい」と声を大にして言える世の中に生まれただけでも、
ありがたいと思っています。


ちなみに。
あれは高校を卒業する時だったかな。
卒業文集に、「将来の夢」をみんなで書いたのですが。
まあ高校生にもなれば、女子校でもあったし、
みんな「何歳で結婚して、子供は何人」
という夢を見ているのですよ。
私だけです。「小説家になりたい」と書いたのは。


ママになった同級生たちは、今の私を笑うかもしれません。
でも、卑屈になんかなりません。
私にしかできない生き方をしてきたと思っています。


自分に小説家になるだけの力量がないことに、
しじゅう過ぎまで気付かなかったのも何ですが。


今まで応援して下さった皆様には、感謝とともに、
申し訳ないと思っています。


これからまた自分探しをしていきます。


あ、
水無月美伊の名前は捨てません。
ブログでの小説&エッセイは、書き続けていきたいです。


ただ、しばらくはお休みします。


では、また会う日まで。