今年の暮れ、予定は未定ではあるが、6年ぶりに同人誌即売会に出店する。

私が同人活動を始めたのは、今から19年前、OL四年生の時だった。普通だったら足を洗う年齢だ。
その時は創作ではなく、氷室さんやT-BOLANなどを扱った音楽ジャンルだった。
私が初めて即売会に参加したのは、当時私が入ってたサークルの会長、仮にMちゃんとしておこう。彼女の相方に立候補したのがきっかけだった。
何故立候補したのかって? 会社に親しい友達もいなく、学生時代の友人とは連絡が途絶え、挙句に失恋までして、ひとりぼっちだったから、友達がほしかったのだ。
その年の暮れ、Mちゃんは私を、当時は幕張メッセ、今は東京ビックサイトで開かれている、本家本元のコミケに誘ってくれた。
ひとりぼっちだった私が、友達と旅行だなんて! 私は浮足立ってしまった。
その時に、Mちゃんを通じて、Yちゃんとも知り合った。その日はMちゃんを通じて、何人かの同人仲間ができて、本当にうれしかった。
それで、いよいよ私がサークル参加するという時、私は相方にYちゃんをと考えていた。
Mちゃんは自分のサークルがあるし、他にも相方さんたくさんいるし、Yちゃんとは既に、一緒にライブに行ったりする間柄だったから。
MちゃんもYちゃんも快諾してくれた。
私は二人を、何物にも替えがたい親友だと思うようになった。


最初にこじれたのは、金銭トラブルだった。
Mちゃんと一緒に行く予定だったライブのチケットが取れず、チケット代を返してくれといくら手紙を書いても返事が来ない。
その頃は携帯でメールなんてなかったし、イエデンは家族の前でしなきゃならなかったから、できればしたくない。ひたすら手紙だ。
それでも返事がこないので、家族が寝静まった頃、私はMちゃんに電話をかけた。
するとMちゃんは、チケット代は返したはずだと言う。
小為替なので普通郵便だった。書留ではなかった。郵便事故だ。


それから、私たちの間はぎくしゃくしはじめた。
私は、Mちゃんの変化に気づかないでもなかった。Mちゃんの方からは全然電話かけてこない。いつも私からになった。
それに、手紙の返事が時々滞るようになった。
やっと来た返事には、「切手を買うお金がなかったから」と書いてある。
そんなバカな。80円を親友のためにけちるの?
私はそう思った。Mちゃんが私を友達と思っていない、なんてことは思いもつかなかった。
それでも、Mちゃんが私と交流してくれるのなら、私は切手代なんか惜しくなかった。何度かMちゃんに切手をシート単位で送って、「私宛の手紙に使って」と言った。
次に、Mちゃんが私の誘いを断るようになってきた。
たとえば、私が東京へ行った時、当然のように親友のMちゃんに会わないかと言う。
するとMちゃんは、「お金がないから」と断ってくるようになった。
フリーターだったMちゃんはお金に困ってるんだろうなと、私は、「私がおごるから」と言って、Mちゃんを食事に誘った。
Mちゃんが私と会うのを嫌がってるなんて、思いもよらなかった。なんて鈍感なんだろう。私。
今思えば、おかしいと思えることもあった。
新潟での即売会に誘った時も、「お金がないから」と言って断ったMちゃんなのに、他の友達が誘えば、しっかり新潟での即売会に出ていたのだ。この時でさえ私は、Mちゃんが私を嫌がっているとは思わなかった、おめでたいなぁ……。


決定打となったのは、私の心ない一言だった。
Mちゃんにこんな言葉を浴びせた自分が本当に恥ずかしいんだけど、何度か「切手を買うお金がなくて~」と手紙の返事が遅れた言い訳をしてきたMちゃんに、私はこう返事を書いてしまった。
「もっと家賃の安いアパートに引っ越すか、お給料のいい仕事を探せば」
なんたるKY!
当然Mちゃんは大層ご立腹で、私に最後通牒を送ってきた。
おめでたい私は、それでもなお、謝れば済むと思って、その頃には携帯を持っていた私は、電話で(まだ携帯にメール機能がついていなかった頃なので)彼女に謝った。
ところが、Mちゃんはなかなか許してくれる気配がない。
そして、話しているうちに、一つの事実が浮き彫りになった。
私とMちゃんが親友だということは、私が勝手に決めつけただけで、Mちゃんは私を友達だと思ったことは一度もなかったらしい。
結局、その電話がMちゃんとの最後のコンタクトになった。


時同じくして、Yちゃんとの仲もぎくしゃくしてきた。
もとはといえば、私がYちゃんに、自分の本の売れ行きが芳しくないことを愚痴りすぎてしまったのが原因なのだが。
Yちゃんは、手紙にこんなことを書いてきた。
「イラストの上手な人に、小説の挿絵を描いてもらえば?何もしないで売れないとか言ってるより、何かしてみた方がいいのでは?」
私は正直に言ってかちんときた。何もしないでなんて。私はどうすれば売れるか、毎回工夫しているつもりなのに。
Yちゃんはさらに言った。
「美伊ちゃんの本の売り方はいつも同じで、工夫が感じられない。美伊ちゃんがいくらいろいろ努力しても、もっと人目につくものを作らないとだめなんじゃないの」
心の狭い私は、かなり怒ってしまった。
そこへ、Mちゃんとの絶縁だった。
Yちゃんが私とMちゃんの復縁?を願ってあれこれと言ってくれる言葉は、私にとってそれは、余計なおせっかいでしかなかった。
私と顔を合わせるたびに、
「Mちゃんと仲直りするには、こうすればいいんじゃないの」とか、
「きっともとに戻れるよ」とか。
戻れません。
私とMちゃんは、もう赤の他人なのです。
私がそれをYちゃんに説明して、MちゃんはMちゃん、私は私と割り切って付き合ってほしいとお願いしたが、Yちゃんは聞き入れてくれなかった。今思えば、当然かもしれないが……。
さらに悪いことに、YちゃんがMちゃんに、
「美伊ちゃんを許してあげて」
とか何とか言ったらしい。
Mちゃんにしてみれば、私が仲介を頼んだと誤解したに違いない。
とにかくMちゃんは、彼女が主宰していたサークルの案内書を、私に送ってこなかった。
私は、そのサークルを辞めさせられたのだ。
ああ、ここまで嫌われてしまったのなら仕方ない。と、私は別のサークルを探した。
そして、同人界ではかなり年がいってしまった私よりも年上の、Nさんという人が主宰しているサークルに入会した。
私は初めての原稿として、Mちゃんとの顛末を書き、送った。


数ヵ月後、Nさんのサークルの本が届いた。
私はわくわくして開けてみた。
開けてみたが。
なんか、見たことのある筆跡とイラストが。
Yちゃんだった。
Yちゃんが、そのサークルに在籍していたのだった!
Yちゃんが在籍しているとわかっていれば、このサークルには入らなかったのに。
しかも。
Yちゃんの原稿はこういうものだった。
「友達とコミケに出て、本が売れないのをさんざん見てきた」
私は正直腹が立った。
なぜ、私の本が売れないのを、不特定多数の人に言わなければならないのかと思った。私だって同じことをしているのにねぇ、その時も、今ここでも。
さらに。
Mちゃんとのことを書いた私の原稿に対する、Nさんのコメントはこうだった。
「切った方は切られた方のように、大っぴらに嘆くことも、責任を人に押し付けることもできないのだから、それで許してあげてくれませんか?」
今思えば、私の原稿の言葉が足りなかったから、こういうことになったんだろうけど。
その時私は、Nさんに対しても腹を立てた。
これでは、私が悪者じゃないか。
少なくとも、このサークルの会員はみんなそう思う。Yちゃん含めて。
私は何もかも通り越して、大泣きした。
そして、思った。
もうだめだ。
私の音楽サークルの活動は続けられない。
こんなに私を傷つける人ばかりの中で、同人活動は続けられない。


というわけで、私は今までの音楽サークルは辞めるけど、オリジナルで、PNも今の水無月美伊に変えて、心機一転、たったひとりで新装開店した。


それからいろいろあって、6年間お休みしていたけど、また活動再開する。きゃー。年寄りの冷や水だ!


今、Mちゃん、Yちゃん、そしてNさんと、あの頃の同人仲間にもう一度会えるのなら、私はみんなに謝りたい。


KYでごめんね。


そして、今も相変わらずKYな私ですが、よろしくお願いします。