私が就職したのは20歳の時だ。


高校を卒業してからの2年間は職業訓練校に通い、車の免許も取った。


私は”障害者雇用”として、地元に就職した。



自分の障害をオープンにして働けた分、

私にできることできないことを理解してくれていたからだ。


初めて社会に出て働くのが嬉しくて、

楽しかった。


しかし、平凡に続くと思っていた日常は突然終わった





いじめが始まった。


毎日無視され、

まるで私だけが空気のように扱われた。

あんたは胸糞悪い」

暴言も吐かれた。


私は我慢した。

小学校でも、中学でも、何度もいじめられてきたから。


自分はいじめられることに慣れている


そう思い込ませることが普通になっていた。


でも、本当は休みたかった。


1度休んだらもう仕事いけなくなるよ。負けるな


美月ちゃんは頑張り屋さんだね



……そうだ。私はもっと頑張らないといけなかったんだ


家族や同僚からのその言葉も、

私を最も

苦しめていたんだ




自分を追い詰めて、働き続けた。


苦しくなって、ようやく上司に相談したとき、

返ってきた言葉は想像を超えていた。


美月ちゃんが悪いことしたんじゃない?

単なる勘違いじゃない?


……なんで



誰にも相談できないと思った。

私は感情を無くして働き続けた。

感情を出すと、涙が出るから

ただそれだけだ。


半年ほどたった頃、

私はついに限界を迎えた。


朝になると涙が出て、身体が動かない。

もう笑えない。



その後、私は別の部署へ異動になった。


最初はうまくいっているように見えた。

人間関係もとくに悪くはない。


でも、同じことはまた起きた。


これだからお前みたいな障害者はダメなんだよ


私が何をした

何がいけなかった



気づいたら、誰も味方はいなかった



この頃、初めて”障害者支援の担当者”と出会った。

その人が私の転職をサポートしてくれた。


障害者雇用に理解がある職場。

そういう職場に行きたかった。


そして無事に転職した。

その職場が、今の仕事だ。

十分にいい環境だ。


けれど次第に

胸の奥からこんな声が聞こえてきた。


このままで、

ただ人生過ぎてくだけなのかな?



という感覚が静かに芽を出し始めたのだ。





続きはまた次のお話で✨️


人生はいつもいい方向に流れている。

あなたが笑っていられますように🪽