に若かりし頃乗っていた。先輩が帯広から2台持って来て約1年半掛けてレストアしたのだがボディーは錆が酷かったのでオール板金し直してから純正カラーのネイビーメタリックで全塗装、足りない部品は探しまくりマニアやオーナーズクラブにも連絡して分けてもらいに出向いたりもした。グリルやモール、ホイルキャップなどのクロームパーツは全て再メッキし直し、ハンドルは専門業者で再生、燃料タンクは一旦取り外し中を洗浄してからコーティング、内装はオリジナルの西陣織りが奇跡的に新品状態で残っていたのでそのままにした。G7エンジンは比較的走行距離が少なかったのでオーバーホールせず、キャブ調整とプラグとオイル交換で蘇った。燃料ポンプや配線類を新しく引き直し、タイヤは夏冬兼用のクラッシックドレットパターンのホワイトリボンを履かせ車高は前後共少しだけ下げた。レストア費用に新車が買える程要した事は想像し易いであろう。完成した頃は嬉しくて毎日の様に乗った。有鉛ガソリンも既に余り売って無かった頃で給油ごとにバルブリセッション防止剤を燃料に混ぜたり、冬になるとカギ穴が凍ってライターで暖めてからキーを差したり、カーオーディオは勿論キャセッツテープの時代だった。娘がまだ小さかったので車に乗せるといつも窓ガラスをベタベタさわって汚したのを思い出す。アメ車に憧れもあったが国産クラッシックカーが好きだった。その頃、赤平クラッシックカーフェスティバルにROCKOLA CLASSICSと云うカークラブを数名で設立し参加しはじめた。同クラブの車両が3年連続優勝し、廻りの参加者からブーイングも聞こえ出したが我々クラブの車両はドメスティッククラッシックセダンカーの王道を行く集まりであった為、他の追従を許さなかった。欲を云えばクラウン観音開きが有れば完璧だったと思う。今でこそバイク一筋だが若い頃(23歳)は車派だったのである。19歳の頃乗ってた縦目グロリアPH30も良かったがそれ以前の猫目グロリアプリンスS41のスタイリングの良さと乗り味は別格であった。つかの間の夢を見た後、交通事故が原因で自動車運転免許証取り消し処分となり1年間自転車通勤するハメとなったのは以前もお話しした通りである。Dscf1990