エンちゃんへ

 遠藤豊くん、僕は確か最初は遠藤くんと呼んでたけど、いつからかエンちゃんになったね。僕の方が4つ年上だからいいよね!?昨日と今日は最後のお別れをしに教会と火葬場に行ったけど沢山の人が来てたね。これも君の人柄や人望の厚さですね。今日は小雨が降ってたけどバイクでお見送りできてヨカッタです。STERの大将や小坂さん、皆来てくれたね。。もう勘弁してくれよな、泣き過ぎて目が腫れちゃうよ。

エンちゃんと知り合ったのはバンドのドラマーで西武デパートの今は亡き「スタジオナイン」のスタッフでした。その頃は挨拶程度で会話をした記憶も無く、アメリカから帰って来て最初の古着屋「POW WOW」をオープンさせた頃、僕のやっていた「HOLLY'S」に挨拶に来てくれたのが仲良くなったきっかけでした。その後のエンちゃんの快進撃は説明不要だと思いますので今日は彼とのエピソードをいくつか思い出して書きます。紋別の末広くんの結婚式の時、会場のトイレでスーツに着替え、ネクタイの結び方に戸惑ってるのを見兼ねて僕が結んであげたら「ホリさん、凄い上手ですね~」と褒めてくれたエンちゃん。僕の事は洋服屋のお洒落な先輩と思ってくれていた様です。始めてアメリカに行った'94 2月、ロス空港まで車で迎えに来てくれたエンちゃんとアヤちゃん。2週間ずっと安モーテルを点々としながら一緒に古着屋やスリフトショップやローズボールのフリーマーケットなどを廻って古着の買い付けをしました。「堀さんと一緒にアメリカ廻ったら50'Sの勉強になるなぁ」と言ってくれて英語が流暢なエンちゃんのお陰でスムーズな交渉ができて良い仕入れが沢山できました。二人でハリウッドクレイジーガール(ス○リップ)に行った事や、国道101号線をエンちゃんの車ダッチバンでロスからシスコまで、時速100マイルを100キロと勘違いして運転してた僕に「ホリさん飛ばし過ぎですよ~もっとスピード落として!」と注意されて「あ~どおりで皆遅いと思ったよ」とボケ返したのがまるで昨日の事の様です。僕がロスから帰る前日「エンちゃんのお陰で憧れのアメリカに来れた、ありがとう」って言うと「また今日もお祈りの時間が始まりましたね」と言って照れて笑ってました。その後もエンちゃんは何度か渡米して帰る度、僕にお土産を買って来てくれました。ドラムが上手かったエンちゃん、セッションした事もありました。バイクが大好きでよくバイク談義をしました。僕が持ってた1939年製のTRIUMPHを洋服とトレードしたり、ウチのお店がリニューアルオープンした時は商品を委託で貸してくれたり、事有るごと本当にいつもいつもエンちゃんは僕の事を気遣ってくれて良くしてくれました。彼は歳下でしたが僕は彼を人間として同業者として尊敬していました。長身の美男子で心の優しいエンちゃんは男から見ても本当にカッコ良い男でした。ここ数年はお店に泥棒が入って被害を受けたり、バイク事故でケガしたり、新しいお店をオープンさせたり、縫製工場を作ったり、火事に見舞われたり、仮店舗をオープンさせたりと目まぐるしく忙しかったと思います。人が何十年掛けてやる事を僅か数年の内に彼はやりきりました。'28JDハーレーダビッドソンの完成を見ず、逝ったのが心残りだったでしょうが彼との思い出はいつまでも心に刻み、共に生き続けます。短くとも内容の濃い39年間の人生を駆け抜け天に召されたエンちゃん、本当に今まで色々とありがとう!どうぞ安らかにお眠り下さい。


Dscf0175_3 '2009夏、札幌安部さんのお店「バジルバジル」EZOQオフ会にて