今日は8月9日、長崎原爆の日。
今日は
2008年の大型連休を利用して訪れた
長崎の被爆遺構のことを
書いたわたしの日記を転載しました。
(2008年5月mixiより)
〜長崎さるくその6〜の日記ですので、
色々途中からですが、
お付き合いいただければ幸いです。
※写真もそのまんま転載したので画質が悪く
見づらいかもしれません。ご了承ください。
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(まだ、長崎さるく続きます。続いてます。(^ー^ヾ)
山王神社の最寄り、浦上駅前へ!
2車両編成という、長崎来て初めて見た!路面電車に乗りました。
車内も近代的。
昨日、タクシーで、今朝バスで通ったわぁ。という景色を見ながら着きました、浦上駅前。
ちょっと蒸し蒸ししてきた。暑いよ、今日。上着を脱いで半そでだい!
歩け歩け。しかし、ちょっとお手洗い~。
で、お手洗いをお借りしたのが、『浦上百貨』さん。
地図でみつけていた、ここならお手洗いが借りれるだろうと行ったなら、
行ったなら~~
まちの市場って感じのところでした。
お手洗いの指示をたどって着いたのは、外。w
しかし、きれいなお手洗いでした。昔ながらのお手洗いでしたけどね。
(そうそう、余談ですが、長崎はどこのお手洗いもキレイでした。嬉しいよね)
さて、さて、私が目指す山王神社とやらは、あちらの方向??
地図だけが頼り。
歩く歩く。この道をきっと真っ直ぐ。の道を歩く。
まだかなぁ、あってるかな?
「あ。」(みえた:一本柱鳥居)
はぁぁ。そうなんだ。
急な石段を上がっていくと立っている、一本柱鳥居。
説明書きもありました。
この鳥居は二の鳥居だそうで、山王神社には四の鳥居まであったそうなんですが
1945年8月9日の原爆投下による爆風で一の鳥居と二の鳥居の右半分だけを残して、
吹き飛ばされたというのです。
現在当時のまま残っているのは、この二の鳥居の一本柱鳥居だけ。
被爆遺構として、この神社に残る被爆クスノキなどとともに
山王神社はこれらの保存に努め、核兵器廃絶や世界の恒久平和実現に向けて
貢献できればと考えられているそうです。(山王神社HP参照)
一本柱鳥居
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今回、私が福山さんの写真展を観るために長崎までやってきたワケ。
初めは、写真展開催!の声を聞いていくことを決めていたのですが
さるく1で書いたように2転3転あり、行けそうにないから行かないことに決めていた時期に
写真展に行かれたある人の感想を知ることがあったのです。
たしか「一本柱鳥居の写真を見てぐっときました」というような感想だったかとおもいます。
「あ。」と思ったのです。
"長崎で開催される写真展には、福山雅治の感じる長崎(故郷)の写真がある。"
一本柱鳥居の存在は、かすかに頭の中にあるくらいだったけれど、
"長崎(被爆地である長崎)に対する福山雅治の想いも知ることができるのではないか"
「行かなくちゃ。」
と私に衝撃をあたえた場所だったのです。
写真展でその写真を目にしてこの日、ここへやってきたのでした。
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長崎は港町としての外交の歴史とともに、切り離すことのできない歴史があるのです。
ほんとのところ、一人の旅だったので、辛くなる切なくなる場所は避けたいと思って、
この旅程には平和公園や原爆資料館を入れる予定はなかったんです。
だけど、出発日が近づくにつれ、予定が明確になるにつれ、やはり行くべき場所であると思い直し
平和公園と平和祈念館そして、山王神社を訪れようと思っていました。
当日、時間の都合で平和公園・祈念館まで足を運ぶことができなかったのだけれど
この一本足鳥居と被爆クスノキ、そして坂本町民原子爆弾殉難之碑・当時の町長の手記に触れ
原爆がこの地に落とされ、多くの人が命を落としたこと、その中でも奇跡的に助かった方がいたこと
負傷しながらも皆が皆の介抱をしていたことを知ることができました。
これを知り、想像は想像でしかなく、ドラマや映画でみたシーンでの映像でしかないけれど
その悲惨さを想い、家族を亡くしながらも町民を心配し見回った町長の気持ちを想い、
私は表現しがたいなんともいえない気持ちを抱きながら、この場所を訪れることができてよかったと思いました。
思っていました。
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長崎駅前から南の方をまわった前日でしたが、
北の方であるこの浦上の空気は南の方よりも少し重いものを感じました。
それは、きっと爆心地に近いから。
ここで、たくさんの命が消えていったから。
その空気を感じながら、ここで生きてきた人たちの町にある山王神社のクスノキは
力強かったです。
一本柱鳥居をみつけ、階段を上がってきた時はそこが目的地だったので
右手奥に大楠と神社がありますという看板をみたときにはなんとも思わなかったのですが
大楠も目には入ってなかったんです。ですが、
その看板の通りに、右奥へ足を進めると、目に入った大楠。
「あぁっ。」思わず声がでるほどの、大きな木でした。感動しました。
そばによると、痛々しい傷跡も見られましたが、木々からはパワーを感じました。
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先を急いではいましたが、もう少しその場にいたいなと
もう少しここにいて何かを感じていたくなる場所でした。
---原爆でなくなられた方々のご冥福を、
そして長崎から発信される平和のメッセージが多くの人に届くことをお祈りいたします---
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以上 2008年のSayakaより。
自分が感じたことを思い出して、
改めて感じる。
過去のわたし、残してくれていてありがとう。
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さて、
このクスノキ実は
福山雅治さんの楽曲『クスノキ』(2014年)の
モチーフとなった被爆クスノキです。
片足鳥居も歌詞に登場します。
とても壮大な曲調ですが
あたたかくも
力強くもあり
辛さも切なさも
歓びも悲しみも
感じる楽曲です。
機会があれば聴いてみていただきたい。
生命を、生きること(活きること)を、
考えます。
戦争のことも、長崎(原爆)のことも、
しっかりと伝えてくれています。
改めまして、
---原爆でなくなられた方々のご冥福を、
そして長崎から発信される平和のメッセージが多くの人に届くことをお祈りいたします---2019.8.9
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