京都に原爆を投下する計画があった、と幼い頃に聞いた。自分の親戚のルーツは日本海側であったので原爆が投下されていても、私が今も京都で存在していたことには変わらないかもしれない。しかし、京都御所等観光名所はほぼ全滅していただろう。京都が応仁の乱以来の焼け野原になっていたことになる。ただ、京都は日本文化の中心で狭い盆地であるために、投下後の影響と評価に配慮した、等という理由で京都への原爆投下が見送られた、という説を後で聞いた。いずれにせよ、広大な砂漠での実験に飽き足らず、黄色い猿とみなされた生身の人間の生活圏に原爆を投下しようとした。真珠湾攻撃に対する報復と、新兵器についての惨い好奇心と、戦争後の世界支配の主導権争いためであるらしい。日本がポツダム宣言を受諾することが遅れていれば、いずれ京都にも投下された可能性は残されたようだ。京都の公家出身の首相が支那事変を拗らせて戦線拡大させていなければ、と悲惨な結果を京都に住む私は嘆かざるを得ない。
原爆以外にも外国勢力からの間接侵略に対して無防備に思われるので、上げてみた。