約束の地は、日本では靖国神社をあげることができる。国家のために命をささげた人々を哀悼するための共同慰霊施設として明治政府が設立した、という。国家民族の矜持を賭することを美徳とした愛国殉国教育政策が、古事記による皇国思想と融合しながら、実施された。それは、大日本帝国による戦争遂行の思想的正統化のための象徴とされたのは、粉飾できない事実である。神風特攻隊の年若き勇者たちが”靖国で会おう”と言い残して飛び立つ姿を映画などで見聞きすると、国家運営による残酷な結末に身が切り裂かれる思いに苛まれる。
しかし、このような”約束の地”という発想は、明治維新以来ポツダム宣言調印の大日本帝国の破綻をもたらせたが、キリスト教の聖書から引用されたのではないか、とプロテスタント系クリスチャンとして落ちこぼれているので思わされる。聖書によると、主なる神が約束の地エルサレムに再臨し(一度目はイエス・キリスト)、罪人(つみびと)である人類の救済を約束している。このクリスチャン信仰と靖国への誓いと多分に類似性を感じざるを得ない。旧約聖書では流浪の民とされたユダヤ人がカナンの地を約束の地とされ、新約聖書ではエルサレム、大日本帝国では靖国神社であるかのようだ。
そもそも、明治政府が天皇を現人神として大日本帝国で君臨させ、お国のために命を落とせば、英霊として崇め奉られる信心を日本人に育んできたことになる。死んで英霊、いわゆる神々として祀られるか、キリスト教の唯一絶対万物創造神の元に還るかの相違は、一神教と多神教の違いこそあれ、現在の多文化共生の俗世的には、かなり微妙で繊細だ。英霊とする死者崇拝はキリスト教で偶像崇拝として忌避されるかもしれないが、死者を悼むのは人間として自然な感情だからである。
死んで天国に行く、という約束が強制されていた時代は永かったのだろう。これを受け入れるか拒絶するか自由であることを謳歌できるのは有り難いことだ。しかし、死んで靖国で英霊になれ、という同調圧力は、つい100年ほど前の日本では当たり前だったのだろうか。信教の自由が侵害されないように、各々の思想良心の内心の自由こそ、常に内省しなければならないことは、最近理解した。
、というのは、第26回約束(プロミス)エッセー大賞に応募するため下書きしたのをボツにせず、アップしてみた。
奇しくも、数々の欺瞞に満ちた真珠湾攻撃の日に、日本国救済会を設立できたことを光栄に思える。ちなみに、実父の命日の前日だ。あれから10年。このまま黙って死ぬ訳にはいかない。多少は政治に参加しようとして約2年だが、日本国が救われてまともになれば、日本国民が世界一宇宙一の民族になることを主イエスにあって信じて行動していく。
是々非々