夫の裏切りを知ってから、二度目の冬。
 去年の今ごろは、ボロボロだったに違いない。
 子ども達とのクリスマスディナーやクリスマスプレゼントなど、全く思い出せない。


 それまでの私は、不倫は世間から批判を受ける悪いことであり、発覚後は必ず「ごめん、許してくれ」と夫が折れるものだ、と思い込んでいた。
 でも、泣いても怒っても、夫の気持ちは、私には向かなかった。


 さらに、弁護士を立てての離婚調停、[算定表]という初めて聞く言葉を使っての、一方的な生活費の減額。
 不倫脳と言われる、身勝手で幼稚な言動。


 もっと穏やかで思慮深い人だったはずが、すっかり変わってしまった。
 と、はじめの数ヶ月は思っていたが、そのうち、

 そもそも私は夫の全てを知っていたのか?
 結婚して最も近い関係になったことで、夫を理解してる気になっただけではないか?

 と思い始めた。


 そんな時、『信じる』ことについて芦田愛菜ちゃんの言葉を思い出した。
 ネットで調べると、当時高校生だった彼女の言葉。
裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが、信じることと思う


 なるほど、人には色んな顔があり、相手や状況に応じて、それを使い分けている。
 夫が変わったのではなく、夫が私に見せる面を変えただけ。

 
 ストレス解消だったのか、性的欲求不満だったのか、女遊びに逃げた、弱い一面を待つ夫。
 これまで気付かなかった夫の新たな顔を知り、それに傷ついたし、悲しい思いもたくさんした。
 今は「これ以上傷付きたくない」と身構えて、夫に近づきたいとは思わない。


 しかし、やっぱり心のどこかでは、一緒に子育てをしたいと願っている。
 夫に、子どもを愛おしいと思う顔は、残っているのだろうか。