大好きなこと。


旅行☆海外を訪れること。


非日常、刺激、出会い、発見。


同じ地球にいるはずなのに、感じる「まったく異なった地球の空気」


現地の気候、文化、言語、そういったすべてが五感に染み渡る実感。



自分の細胞の中に、今までに経験したことがない、


物質が組み込まれていくような、


確かに得たいの知れない「何か」あたらいいものが、明らかに、


自分の体の中に取り入れられていく。



生きているという実感と同時に、自分という存在の小ささを感じるようなそんな


矛盾した感覚だ。



時には、全身がしびれるような衝撃を受けたり。


涙がほろっとでてしまうような、絶景。


息をのむ恐怖。


そんなすべてを愛おしく思う。


これからも時間・お金・体力がある限り、


世界中を旅してみたいと、そう強く思う。














今日、話していて思ったことがあった。


理想と現実の間にあるものは、何なのだろうと。


もちろん、すでに理想など捨てている人、忘れている人もいるだろう。


だが、理想を持ち続けている人の現実と理想の間にあるもの。


それは、「夢を見るという行為」、そして「努力」「忍耐」といった「夢をかなえる行為」ではないか。



理想を持つことは、恐怖である。


習慣・慣れた環境を捨てるという変化への不安に駆られ、


そして、失敗したらどうしよう?自分なんかにできないかもしれない、


そういった不安で胸がいっぱいになる。




でも、その苦痛から一瞬にして開放される秘薬も、


人は知っていて、それに安易に手を伸ばす。


それは、理想を持たない、夢を忘れる、追いかけないという決断である。


そうすることで、一瞬にして、変化への恐怖、心配から開放されるのだ。


そうやって、人々は自分に鈍感になることで、自分を守る「大人」へとなっていくのだろう。




26歳の私は、強く思う。


そんな、自分の夢をごまかしていく人生は嫌だと!


欲しいものは、欲しいと声を大にして、


失敗イメージなど沸かないくらいバカになって、


自分の理想・夢にチャレンジしていきたいと。



若いといわれるかもしれない、


習慣にしがみついた方が、


将来やっておけばよかったと思う後悔より、


痛みが少ないのかもしれない。



それでも、チャレンジすべきだと、思う。


こうやってブログを書くことで、言い聞かせているのかもしれない。












































「青春」


いつ聞いても、何だかワクワクするような響きだ。


青春(せいしゅん)とは、季節の「春 」を示す言葉である。転じて、生涯において若く元気な時代 、主に青年 時代を指す言葉として用いられる。



自分のライフテーマの中に、「青春」がある。


幼く・いつまでも夢を持ち続けているピーターパンシンドロームのようなネガティブな意味ではなく、


キラキラしていて、夢がある、挑戦し続けているような、そんな肯定的な意味だ。




青春は、


もろく、はかない。時には、残酷だ。


しかし、美しく、人を魅了する圧倒的なパワーがあると信じている。



青春時代にあったもの、それは未知との出会いの連続だったと思う。


新しいことを知り、体験し、習得していく。 


常に受ける刺激、衝動そして高まる好奇心。


全身に漲る、自分の可能性。



けれど、大人になると「未知」は、「既知」へと変わり、


それによって今までの刺激は、習慣へと様変わりする。



習慣は、ぬるま湯のようなもので、


気持ち悪くはないが、出る必要がない。



気がつくと、習慣でしがみつくことで、環境の変化を恐れるようになり、


自分の心地よいと思う範囲・レベル内だけの活動領域となる。


これは、潜在的な静かなる絶望だと、私は思う。



青春の対語は、何がしっくりくるのであろうか?


絶望? これは、言いすぎな気がする。


老い? 国語辞書的には、意味は近い気がする。


大人? このほうが、ピンとくる。ネガティブな意味での「大人」




もし、今私がいるところを言うなれば、


青春と現実の間。


その先にあるのは、夢と目標。


忍耐と努力を両手に、理想を開拓していきたいと強く思う。