私は初期の頃の村上春樹が大好きで、
すべての作品を読んでいたのですが、
春樹氏のアメリカ暮らし以降の作品はほとんど読んでません。
(なんとなく、ちょっと気持ちが離れちゃった・・・)
それでも、彼がスコット・フィッツジラルドの「グレートギャツビー」を
特別なものとして敬愛していることはよく知ってました。
本日、村上春樹訳「グレートギャツビー」(愛蔵版)を読了。
消化しきれず、ちょっともやもやしています。
私が消化できないのは女性だからか?
20年代のアメリカをうまく想像できないからか?
きっと、どちらかだと思います。
いや、もしかすると両方・・・・。
なんだか、悲しすぎる気がするのももやもやの原因?
過去の方が幸せだった?と最近思ったことも影響してる気もします。
ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・・そうすればある晴れた朝にー
だから我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
↑ 非常に評価の高い結びの一節です。
また、映画化されるんですってね?
「華麗なるギャツビー」でロバート・レッドフォードが演じたギャツビーをデカプリオがするとか。


3Dなんだとか(意味があるのかは疑問だけど)。
オーストラリアで撮影中のようです。