ここは、私が「結婚式を挙げる」



そう決めてからの
揺れ動く心の吐露の場所。




毎日、毎日、なんか出て来る。
また、さっきも出て来た。





「悪いな」という想い。


「こんな私に
お金使わせてごめんなさい」
という想い。



出た出た!




だから、そんなこと言ってたら
私のために時間もお金も使って
結婚式に来てくれる人に対して失礼なんだって。




私のことを大切に思ってくれてる人に
「こんな私に」なんて言ってたら
どんだけ失礼な話なんだよ。






「旦那さんと結婚式を挙げたい」は
本当の私の願いなんだと思っているけど
(なんか現実の私がついていってないから)





世間一般に考えたら

お金無いのに
再婚なのに
50歳にもなるのに


みんなからのお金で
結婚式をするなんて思いついた自分を
「イタイやつだな」と思う。


「普通じゃないな」と思う。






本当は、お金が沢山あって
みんなを「招待」したいなぁって思う。



お車代も宿泊代も、結婚式の費用も
全部全部、自分で準備出来て
みんなを「招待」したいと思う。





でもね。



自分がお金を出して
私の結婚式を見に来てもらうのか



みんなにお金を出してもらって
私の結婚式を見に来てもらうのか





この2つって「自分が」の方が「楽」なんだよね。

私が感じたくない、見たくない
「自分はこんな人間だと思ってる」という
部分を見なくて済むんだから。




「みんなに」私の願いを叶えてもらう方は


「みんな、本当は無理してるんじゃないか」
「私はこんなことをしてもらえる人間じゃない」
「だって私は、どうでもいい存在だし」
「どうせ私は関心を持たれてないし」
「どうせ、どうせ、どうせ」って
マイナスな自分ばかりが出て来る。



自分のことを「どうせ」って
大した人間じゃないって思っているから
わざわざ時間と労力とお金を使ってまで
結婚式に来てもらうということを
「ありがとう」って受け取れない。





逆に、ここまでして来てくれる人の愛を
大きな、大きな愛を受け取るのが怖い。


「え?こんな私に、いいの?」とか
本当に相手に大して失礼なことばかり出て来る。






だーーーれも、そんなこと言って来ないのに


わざわざ、時間も作ってもらって
お金も、労力も使ってもらって。

それなのに
それと同じくらいのものを返さないとって
それ以上のものを返さないとって。

返せなかったら、渡せなかったら
嫌われてしまうって

すぐ、そんな妄想が始まる。








「大したことないやん」

そう思われるのが怖い。
何が大したことないやん、なんやろと思う。
うん、自分でも。



それを感じたくないから

「お金を全部自分で用意出来て
みんなにそれ相応のおもてなしをしないと」って


それが出来たら
「大したことない自分」を感じなくて済む。





傷は浅くて済む、とか
思っての「招待したい」なんだよなぁ。



純粋じゃないよなぁ。

自分の「心を守るため」に
お金があればと思ってんだから。





こんなのが、まだまだ出て来る。
そして、そんな自分を元に戻すためにも
「楽じゃない方」をやってみている。






そう、みんなに私のために

お金も、時間も、労力も使ってもらい
結婚式をやり遂げるということ。





いまだに吐きそうなくらい
「これまでと逆」をやってみている。





ほんと、諦めの悪いわたしだ。