いま大切にしていること
これまでの当たり前、常識について、自問自答しながら取捨選択する。
人は生まれて成長し、ある段階で老いて死に向かう。
それさえも固定概念にすぎない。
でも、着実にそのラインをなぞりながら、年相応の容姿、肉体、あり方に沿って自分を演じている。
そこに何も疑いがなかったからだ。
表面的には年を取りたくないと思いつつ、自動的にごく自然に年を重ねていく。
そこで、どうするか。
◎諦めて老いを受け入れて、その枠内で生きる
◎老いに抗い、若さを前面に生きていく
私は、
老いを受け入れつつ、若さを諦めずに追求し続けていく。
人間としての当たり前である「老い」は受容していく。
ただ、それさえも実は自然反応にすぎないのだ。
脳のなかに「老い」のプログラムが設定され、忠実に再生し現実に映し出されている。
老いがデータでありプログラムであるならば、
「老い」というフォルダーに格納しているデータを解除しながら、
「不老」「若返り」のフォルダーを自らの意志で新たにつくり、
そこに一つずつデータを加えていけば「不老不死」の自分になれるのではないか。
いまそう思いながら、自らを再プロデュースしている。
でも、言うは易し行うは難し。
逆にいうと、それだけ脳に格納されたデータは固定化されやすいということだ。
☆☆
ここ数年、文章を書くときは、基本「自問自答」「自己対話」スタイルだった。その場合は、あくまで自分さえ分かればよいので、とにかく思いついたことを記録する姿勢が大事になる。
ただ、ブログを始めてまだ2日だが、他の人に伝えることが重要なので、自分が発したことを分かりやすくする行程が加わってくる。ここにふと「面倒くさい」という感情が出てきた。これは幼少の頃から、自分が話すことは伝わらず悲しい思いを積み重ねてきたからだろう。
どうせ、自分の思いを打ち明けても、否定されてつぶされる。それが子供の頃のどもり、口ごもりにつながり、いまでも払拭できない痛みとして残っているようだ。