6月になった
今日は久々に散歩した直後にブログと向き合っている。
うぅむ、こっちの方がしっくり来るかな。
でも、しっくり来ることが良いとは限らない。
しっくり来るのが、これまでの自分なのか、
いまつながろうとしている自分なのか、
判別つかないところがあるからだ。
とはいえ、とりあえず感じたままに、
書いていってみよう。
自分って果たしてこれまでの人生でどれだけ足跡を残したろう?
こんなことに頭を巡らせながら今朝は散歩していた。
率直なところ、私の半生で誰かに誇らしく語れるような実績を残した感覚はほとんどない。
というか、そもそもそんな気もなかったのだからどうしようもなかった、
というのが正確なところだろう。
でも、やはりときおり「自分の人生ってなんだったのだろう」と思うことがある。
家庭を持つ選択をしていたらまた違ったかもしれないが、
おそらく一緒だったろうし、逆にさらに無意味さを際立たせていたかもしれない。
それでは、自分って何をよりどころにして生きてきたのか。
それは、やはり幼少の頃からの思いにつながる。
「この世の中の仕組みのなかで何かをしたい思いはない」
「自ら仕組みをつくりながら生きたい」
ここに向けて試行錯誤してきた人生だと言って良いと思う。
じゃあ、そんな幼少時の自分の純粋な思いを叶えられたかというと、
残念なながら「力及ばず」って言わざるをえなかった。
それでは、諦めて妥協した生き方をしてきたか。
それができなかった。常に幼少時の思いを胸に生きてきた。
でも無力だった。打ち砕かれ続けた。
気がついたら年ばかり重ねていた。
そうした有り様は、この世のなかにおいては決して成功者ではない。
むしろ、落伍者、社会不適合者といっても良いだろう。
そして、いまや自由人という名の無職、独身、子供なし。
次の仕事へのめどはまったく立っていない。
(正確には、もう労働しないと決めているだけだが笑)
自分にとってのよりどころ、
それは「自分と向き合い続ける」こと。
それだけだったといっても良い。
そうした行為は一見何の果実を生み出していないようにみえる。
それらは「何をしていない」に等しいことと見られがちでもある。
ただ、実は「自分と向き合い続ける」という日常がどれだけ過酷だったか、
それを知るのは自分だけだったといえる。
最近になった「見えない」積み重ねが「見える」領域に多大な影響を与えていることを感じられるようになってきた。
自分と向き合い道なき道を歩み続ける。
そうした内的な歩みが外に反映されている。
世の中でいわれる仕事だけが仕事ではない。
そういえば、社会不適合者っぽい半生を歩みつつも、
お金については苦労しなかったと認識している。
あとは結婚はしなかったけど、素敵な女性と接点を持つことが多かった。
不思議と向こうから近づいてくるという感覚かな。
妙な色気や欲を出すと損をしたり痛い目を見るのが興味深いけど。
そうしたことはいまでも続いているし、今後はいずれもグレードアップしていく気がしている。
そして、その理由も心のどこかで分かっている笑
いま生きている世界だけで計る必要はない。
視点を広げて地球とか宇宙などから自分を眺めている。
そうすると、自分って着実に生きてきたよねって思えるようになるのよね。
自己卑下は不要。傲慢さも不要。
自分として生き続ければよい。