前職は 5年半の介護職で今年の4月に辞めてから、令和元年を迎える日から新しい営業職に就きました。貿易実務に関わる港運課に配属されています。10年前、日本に来る前にTOIEC 695点を取ったので、この仕事の応募条件は 600点以上です。最終面接の時に日本人の若手社長と英語で楽しい会話をしました。管理部の部長を呼び、即採用と言い伝えてくれました。

 

 

あくまでも日本での生活環境は 日本人しか接していない環境に馴染んでおり、英語も勉強したりしていなし、この仕事をやっていけるかと不安があります。そのため、5月12日の貿易実務検定C級に受験しました。解答集をその場に貰い、3科目に貿易実務(2問間違い)、貿易実務英語(満点)の高得点で合格しました。その日にすぐ、7月7日の貿易実務検定B級も申し込みました。300点に248点で見事に合格出来ました。

 

仕事を始めていてばかり、2ヶ月以内に資格を取り、少し自信を思いました。しかし、職場では判断基準が甘い、お客様の言いなりになり、下請けのお客様や直お客様にも大迷惑をかけている毎日を感じています。自分の話し方が悪い、相手に誤解させてしまうことが多い、客様の無理な要請に全てを受け止め、上手く断れない、一生懸命に相手のことを考えて努力したつもりだが、私の文句ばかりを言われています。

 

介護の世界は お年寄りに合わせ、ゆっくり、ゆったりした環境に過ごす事が多いです。貿易営業は完全に違う世界になり、お客様とのやりとりが多く、時とお金とスピードのバランスを取らないといけません。何と言っても正確さとスピードを求める業界です。速くて正確に尚且つ丁寧に対応出来る能力を求められております。

 

 

この仕事を通じて自分のコミニュケーション能力の足りなさ、考え方の甘さ、最悪を想定して備えておいてなかった、お客様の無茶な要望に呑み込まれ、交渉しても証拠を残らずに言ったことを守らないお客様への対応を想定していないなどを分かりました。このような気持ちをはじめて味わいました。もちろん、その背景には知識の足りない、経験不足、引き出しは少ない、上長との相談が少なく、勝手に判断してしまうこともあります。もう、36歳のおっさんになった私は 切ない気持ちがいっぱいです。

 

しかし、6年前の私は福祉業界にワクワクする気持ちは 今日のように覚えています。介護福祉士、ケアマネジャーにならないと絶対に辞めません当時の思いを残っております。ジジババの世話をするのは汚い、夜勤はしんどい、給料は安い、こんな仕事をするのはもったいないと周りの反対を押しのけって6年間頑張りました。

 

絶対にやってやる気持ちで、来年の7月6日貿易実務検定A級も合格してから、10月7日は通関士も取る決意で頑張っていきたいのです。36年間を生き続けてきた自分は 何の為に一人の中国人として小さい日本の地にやって来ました。同じ千葉県で三回の災害に会い、家を失ってしまったお婆ちゃんは 雨が降る夜に寝られないと心配しています。一方では100歳になったお婆ちゃんは いくら災害が来ても「私は大丈夫。」

 

せっかく作り上げた家を失ってしまっても、一からやり直していく日本人の精神に感動します。戦争、原爆、地震、津波、水害、台風などを毎年襲われている環境に強く生き続けていく日本人を尊敬しています。自分が日本人に恩返しが出来るように強く生き、速く成長していき、もっともっと沢山の人に良い影響を与える存在になりたいのです。