1905年生まれ 広島県出身の織田幹雄(1905―1998)は 高校生時代に日本一の三級跳記録を作った人です。1924年パリ五輪に出場し、自分の記録14.35メートルに対して当時のオーストラリア出身の金メダリストニック・ウィンターの記録は15m52.5cmに比べると1.175mの差があります。

 

 

19歳の織田幹雄さんは 大きな夢を持っています。オリンピック金メダルを取ることに決めました。1928年5月のアムステルダム五輪までの4年間は コーチがいない日本の陸上競技分野において独自の研究、努力、実験、検証を繰り返し、日記を付けたら、自己訓練する際の状況について詳細に記録しました。毎日 訓練当時の気候、体調、体重、身体の動き(頭、手、足、)結果あらゆるデータを取って自分の頭の中で組み合わせ、研究しました。

 

 

 

実験の中で自分の成長を感じ、コツを掴みとり、どんどん良い結果を出しました。努力の結果は 1928年アムステルダム五輪で 15m21cmの新記録を作り出した。金メダルを取りました。「日本人初のオリンピック金メダリスト」であり、「アジア人としても個人初のオリンピック金メダリスト」でもあります。

 

 

日本人の誇りであり、アジア人の誇りでもあります。

 

成功因子は まず 先入観を捨てること。相手は 西洋人なので アジア人がどうせ無理だと決めつけ、チャレンジする前に諦めてしまう人もいます。国籍、人種、肌の色など関係なく誰でもチャンピオンになる可能性があります。

 

自己メンター制度です。自分でデータを集め、状況を分析し、思考錯誤の中で一番良い方法を模索していきます。日記付けて自分の成功、失敗を記録に残し、常に最良の方法を考案し、積み重ねていく中で良い結果を導き出していきます。

 

数値の明確化 どんな行動も行き当たりばったりでなく、目標数値、行動、結果で分析して

どこが問題かを把握し改善し目標数値を達成していきます。目標期限を設定しています。織田幹雄氏は 自分の4年後姿を想像して取り込み始まることにします。