第一の習慣の本質は「あなたは創造者である」
ビクター・フランクルさんの言葉
「すべての人は 人生における独自の仕事あるいはミッション(使命)を持っている。その点において、誰もその人の代わりになることは出来ない。そして自分の人生を繰り返すことも出来ない。従ってすべての人に与えられている使命とそれを実施する機会は、その人独自のものである。」

フランクルさんは誰ですか? 彼は ナチスドイツの強制収容所に送られ、 極限の状況に置かれ、裸にされ、小さな独房に拘禁されてしまった。そこで彼はナイスの兵士たちが決して奪うことの出来ない自由ーー人間の最後の大いなる自由と彼は呼んでいることを発見したのである。

彼に起きた出来事あるいは受けた刺激とそれに対する彼の反応との間には、彼の自由、すなわち反応を選択する能力が存在していたのだ。

人間の本質反応 神様から自由意志を与えてくださり、選択の自由権が私にあります。フランクルさんは 苦難の中に自分の自由を育み、周りの人々に希望と勇気を与える数多くの人間の1人である。

中国人の民主運動の父と呼ばれる魏京生は 共産党統治の中で17年間の牢屋生活を送りました。アメリカに逃亡されてから新聞記者の前に「牢屋の中で厚い壁に向け 低くて面積狭い椅子に座り、動くことを許せない24時間監禁されている状態でも自分の意思をしっかり持っている、精神的に忍び耐えられました。沢山の囚人たちが精神が狂ったり 障害者になってしまう。」体の自由を失ったが思想の自由があり 《牢屋からの手紙》という本書いて現政権の批判と助言を綴りました。

天安門事件の責任者のひとりである劉 暁波氏は 現在でも長年の監禁生活を強いられ、2012年人類歴史上初の現役服役者がノーベル平和賞を受賞されました。その評価された「ゼロ八憲章」も牢屋の中に完成されました。

もう1人は 《2017に向かう中国》の著者である高智昇も法輪功信者や社会弱勢団体のために勇敢に弁護する良心弁護士として過酷な牢屋生活を送りました。

また、東方のエルサレム北朝鮮出身の文鮮明氏は神様を解放し、人類を救うために6度牢屋生活を繰り返されました。特に朝鮮戦争の最中である輿南強制労働所に収容されても牢屋を天国と思って12弟子を復帰し、イエスの模擬路程を歩まれてきました。朝鮮戦争中、北朝鮮から一人の弟子と共に南下の釜山へ避難する途中 極限の環境の中で 多くの人々に影響の与える「原理講論」も完成されました。

戦争や動乱時代に生きて来られた人達が多少自由を失う経験をされたと思う。しかし、どんな状況でも自分はどう影響されるかを自分で選択することが出来る。

所謂、主体的な人ーー「深く考え、選択し、内面化した価値観に基づいて自らを支配する。」反対的に反応的な人ーー「その時折の感情、状況、条件付け、環境などに左右される。」
反応的人ーー関心の輪(他人の欠点、周りの環境、自分のコントロールの及ばない状況などに集中する。)被害者意識を作り出すことがある。受動的な生き様である。

主体的人ーー影響の輪(自分のコントロール出来る事柄影響などに集中)能動的な生き様である。よく苦しみや難しい状況を克服している人の生き様ほど、心の琴線に触れるものはない。

心配することは90%起こらない。思慮することや思い悩むことは エネルギーの浪費であると思います。主体的人は頭が常にフル回転して自分の目標に向いて取り込んでいます。悩む余裕がない、どうやって目標達成できることに集中しています。自分の運命の舵を自分の手でしっかり握っています。

自分の主体性を発揮することとは 能動的な生き方であり、過酷の環境に置かれたとしても 自分の意志を曲げなく 自分の頭に構造した理想像を繰り広げ、神様を完全に委ねて 潜在意識の中にあるものに確信している。明日が処刑されるかもしれない監獄の中に置かれる不自由な身であろうか、無数の困難、失敗と向き合い、苦闘の中であろうか、自分は絶望するか希望、憧憬を持つのか 完全に自分の自由意志に決まるものである。

 

第一の習慣の本質は「あなたは創造者である」。もちろん、極端な監禁状態の中に創造性を発揮するというわけではなく、普段の生活の中でも 目標達成するために自分の自由意志を最大限に駆使する思考である。人や環境に左右することなく、自分こそ 自分の人生の主宰者であり主人公である。