ご訪問ありがとうございます🧡
覗いてくださり、励みになります🍀
昨日は22:30過ぎには寝てしまい、途中で下書き保存して寝てしまいました💧
見に来てくださった方、すみません😣
こちらも見てくださり、ありがとうございます🐂
行きの車内からの様子や境内までのルートは👆こちらに書いてます。
続きです!
すみません、帰りの一部と姫路城が載せれなかったので、パート③あります💧
前回は境内に着いたところまでしか書けませんでしたが、節分祭は16:00からです。
私達が着いた頃はポツポツ参拝者がいて、宮司さんがバタバタ何やら忙しくされてました
節分祭で焚き上げる準備、、
奥に見えるのは休憩所!
休憩所から姫路城が見えるかチャレンジしましたが、山の木々で隠れていたようで…💧
姫路城を写してある写真を撮りました😂
👆手前にある茶色い入れ物は、休憩所出てきたら去年の破魔矢や門松や御守りなどを燃やしてました🔥(お焚き上げ)
休憩所の隣に、馬の銅像が🐎
休憩所の向かい側にあった恵美須社。
こちらも鳥居は古代の感じだなぁと見ていたら、紙垂(しで)が、またひとつだけゆらゆら揺れてました🎶
わぁー🥺
どんだけ歓迎してくださってるのー❤️
牛頭天王がいる神社は子分で固めてるみたいですよ🤫
風の音と鳥さんの鳴き声が癒されます🍀
⚠️ちょっと雑音だったので、もし🎥見てくださった方いたら、🔊調整してください😣💦
拝殿の奥にある御本殿を社務所の右斜め前から📸!
千木のパワーを眺めたり、(山手にあるお社から戻ってきた時の)御本殿裏側。
自分の星の穴に木札をいれてお願い三回呟くと言う習わしが大昔から今でも続くのが凄い!
(九星詣り。二黒土星、三碧木星、などの星です。)
山の上の荒神社と吉備神社へ行く前に、社務所で御守り見たり…
陰陽のデザインの御朱印帳があるのが、陰陽師との関わりがあるのが分かりますね?
御朱印は三種類あるそうで、わたしは廣峯神社の御朱印を戴きました♪
それでは、一通り境内を参拝させてもらったので広峯山の方にあるお社へと向かいます✊
元々は、201年に神功皇后が三韓征伐の祈願のお礼に詣り、祠を祀ったのが始まり。
その時は、隣の白幣山(はくへいざん)だったそうです。
遣唐使だった吉備真備(きびのまきび)が二回唐に行き、その帰りに播磨國の広峯山で
牛頭天王の御神託を聞き、お社を祀ったことから 廣峯神社としての形ができていったとの事。
☯️吉備真備が陰陽師の力も持っていたのでは?という逸話があるそうです。
御本殿から👆黒線のルートで荒神社、吉備神社への道を登ります。
①砂が多めの細い道で、ガードレールはありません。。
黒田官兵衛を詳しい方はご存知かもですが、
黒田官兵衛の父親が廣峯神社の布教や、海外からこの地へ来た旅人を泊めていた
今で言う疫病の検問所や宿があった場所であり、昔は栄えていたようです。
途絶えた家屋が多く、高い塀や瓦が残ってる場所もありました。
地図に書いた②の場所は、急な傾斜で足元を見ながらでないと危険です。
荒神社は、牛頭天王の荒御霊が祀られているそうです❗
わたしはどちらでも同じお話をしました🙏
こちらでも紙垂がひとつユランユラン、数秒だけ揺れてました🎶
吉備真備を祀る吉備神社⛩️
左側に☯️マークが彫られたもの(名前がわからない石の塀?)がありました!
牛頭天王が最初に鎮座されていたのが、今の吉備神社の場所らしいです。
さて、こちらの山道ですが…
帰りが特に危険で、トントントンと普通に降りるのは階段幅が狭くて、躓いたら大怪我でしょうね⚠️
それが怖くて、足を横に向けて👣一段ずつゆっくりしか降りれない場所が多かったです😢
降りるときに、折角だからと
ここは拓けてるし他の参拝客いなかったので、撮影してもらいました。
奥の方の階段が、急な細い歩幅でゆっくりしか降りれなかった😞💦
本殿からは片道10分とありましたが、行きは6分ぐらい。
登りは勢いで行けるんですが、帰りは10分ぐらいはかかりますね⏳
それなのに、御祈祷してもらっていた紳士さん達👔スーツに革靴で荒神社、吉備神社へお詣りされてて。
帰りにすれ違いましたが、下りの時に革靴で大丈夫なんか(・・;)(;^_^Aと友達と話したぐらい、なれないと無理な山道です。
来た道を下り、御本殿の裏手に着き、摂社末社を一通り見て境内を後にしました💛
修繕工事中で狛犬さん達と距離あるけど、
ちょっと大きめの狛犬さん達でした!
帰り道は、アスファルトの参道ではなく
天祖父神社がある、土の道を下りました。
ここで、ちょっとペナルティを受けました😅
多分、牛頭天王の領域ではないからかなー。
こちらも含めて、パート③に続きます✍️
最後までお読みくださり、ありがとうございました💜
では、また🌞