14日の土曜日に大好きなLICAさん、FUMITOさんの新年座談会に行って来ました(*´ω`*)
続きの記事です☆
久々の電車、何年ぶりかわからないほど久々の渋谷。。
スマホのマップを頼りに。。
案の定迷いました(笑)( ´_ゝ`)。。
あとちょっとなのに着かない

なんとかお目当てのビルにたどり着き、会場に(*´ω`*)
何人か先にきている方がいらっしゃり、なんか緊張してしまって話しかけるまではできませんでした
初めてLICAさんとFUMITOさんにお会いすることができて緊張がMAXに。。
LICAさん(天使のように可愛かった
)に本にサインをしてもらう時に
「憧れのアーティストに会ったような感じで緊張してます。。」





「大丈夫
リラックスしてね~
」
とLICAさんに優しく言ってもらい、握手でさらにパワーをもらえたようで、かなり緊張がほぐれました
座談会の一番始めにLICAさんが
「みんな来るべきしてここにきている」
と言っていました。
本当にそうだなぁと、絶対にここに来たのは意味がある!
オープンハートでスポンジのように色々と吸収しようと思いました(*^▽^)/★*☆♪
年始はご実家の神社で神職の仕事をしていたというFUMITOさんが君が代の本当の意味について話をしてくれました(LICAさんいわく、FUMITOさんは毎年新年会の時はよく神道の話をするとのことです)
↓この動画を紹介してくれました(*´ω`*)
☆☆☆☆
※以下の文は「神道の心を知る」というFacebookのページからお借りしました!(割愛した部分もあります)
【君が代の本当の意味とは?】
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
-----------------------------------------
「君が代」は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言う人がいますが、いまから千年以上もの歴史のある歌です。
「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
この年に編纂された「古今和歌集」の巻7に、「賀歌」の代表作として納められています。
後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族たちにとって「古今和歌集」の暗唱は、常識だったのだそうで、その「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。
つまり「君が代」は、貴族たちの慶賀の歌としても、常識歌だったわけです。
「君が代」は、その後に編纂された「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。
つまり、そうしなければならないほど、いまから千年もの昔から多くの人々に愛された歌であったということです。
「君」は君主をあらわすのではなく、実は、古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。
日本神話に登場する最初の男女神は、イザナキノミコト「キ」、イザナミノミコト「ミ」であり、「おきな=翁」「おみな=嫗」という言葉もあります。
イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。
その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。
「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。
つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。
二人は天つ御柱で出会い、
キ「我、成り成りて、成り余るところあり」
ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。
ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。
「成り」というのは、完全に、完璧に、という意味です。
その成りが二つ重なっていますから、「成り成りて」は、完全に完璧に成長したことを意味します。
完全です。
何の欠点もなく完璧に、ということです。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したのです。
ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった。
これは矛盾です。
余ったり、足りなかったりするのは、「完全」ではないからです。
完全体になったら、完全でなくなってしまったのです。
そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。
すると「子」が生まれたのです。
つまり「きみ」というのは、男と女、それも「成り成りた男女」をあらわします。
男女が「なりなりた」ことは、本人たちに喜びがあるだけでなく、親や親戚、教師など、周囲の者たちの喜びでもあります。
そしてまた、「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象でもあります。
ですから「きみ」は、「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、おめでたい、相手を敬う言葉となったのです。
従って、「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の喜びであり、「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。
その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。
ここまでだけでも、「君が代」とその背景となっている日本文化の素晴らしさがあるのですが、歌はさらに「さざれ石の巌となりて」と続きます。
「さざれ石」というのは、正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。
細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。
実はこの「礫岩」、日本列島が生成されたことによって生まれた、日本ならではの地勢が生んだ岩石です。
「さざれ石の巌と」なることは、それこそ何千年、何万年という、とほうもなく長い年月を必要とします。
昔の人が、そんな地学の知識をもっていたかはわかりませんが、ただ、礫岩を見て、長い年月をかけた自然の偉大な力には畏怖を感じたことでしょう。
同時に、とほうもない、何百年、何千年、何万年という寿命は、人間にはありません。
にもかかわらずさざれ石が巌になるまでというとほうもない年月、互いに協力しあうということは、何を意味しているのでしょうか。
ここにも深い意味があります。
日本では古来、人は生まれ変わるものと信じられてきました。
肉体は老い、死を迎えても、魂は再び人となってこの世に生まれる。
つまり、「さざれ石の巌となりて」は、「生まれ変わって何度でも」という意味としてもとらえることができます。
そして忘れてならないのは、さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となっているという点です。
ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力でみんなで団結したら、それは大きな「巌」となる。
つまりさざれ石は、
「きみ=男女」の結束、
そして生まれて来る子供達や新たに親戚となる者たちなど、
そのすべての人々が、
大きな力のもとで固く固く団結しあい、
協力しあうことの象徴でもあります。
そして最後に「君が代」は、「苔のむすまで」と締めています。
苔は、冷えきったり乾燥しているところには生えません。
濡れていて、水はけの良いところに生育します。カビとは違うのです。
つまり、濡れたものと、固いものがしっかりと結びついたところに苔は生えます。
【苔のむすまで】 むすとは天地に最初に現れた3柱の神のうちの2柱、タカミムスヒ、カミムスヒのムスを指します。
タカミムスヒとカミムスヒには性別はなくムスと言う字にコがつくと『ムスコ』になりメが付くと『ムスメ』となります。
また、『苔のむす』のむすを漢字で書くと『生す』と書き、生すとは子供を養い育てると言う意味があります。
つまり、苔は永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が誕生し、古いものが死に土となり徐々に広がりをみせます。
子孫繁栄を示しているのです。
日本の神道の中心にあるのは生むではなく、育てるということ。
苔の生すまでとは、古いものが土となり、新しいものを生み、育て繁栄しましょうという意味なのです。
すなわち「苔」は、「きみ=男女」が、互いにしっかりと結びつき、一緒になって汗を流し、涙を流し、互いにしっかりと協力しあい、長い年月をかけて生育する。
それは、男女のいつくしみと協力を意味します。
ですから君が代は、
「きみ」=完璧に成長した男女が、
「代」=時代を越えて
「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、
「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう
そんな意味の歌である、ということになります。
戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。
人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆
FUMITOさんがこのことを教えてくれ、本当に日本って知れば知るほど奥深く素晴らしい国だなぁと改めて思いました!
この愛に溢れたDNA((o(^∇^)o))
親から子へ脈々と受け継がれてきたのですね!
そして、ふと主人とのことを思いました。
スピリチュアル好きの私、かなり現実的な主人。。
うーん。
わかりあえているのか。。
一番近くの宇宙人みたいな(笑)。
向こうもそうなの思ってるのかも。
結婚して丸4年。
仲はよいのかもしれないけど、深いところはわかりあえてないかも。
むしろわかりあえないって諦めてた

まさかここで主人のことを思い出すなんて。




その③に続きます☆
続きの記事です☆
久々の電車、何年ぶりかわからないほど久々の渋谷。。
スマホのマップを頼りに。。
案の定迷いました(笑)( ´_ゝ`)。。
あとちょっとなのに着かない
なんとかお目当てのビルにたどり着き、会場に(*´ω`*)
何人か先にきている方がいらっしゃり、なんか緊張してしまって話しかけるまではできませんでした
初めてLICAさんとFUMITOさんにお会いすることができて緊張がMAXに。。
LICAさん(天使のように可愛かった
「憧れのアーティストに会ったような感じで緊張してます。。」
「大丈夫
とLICAさんに優しく言ってもらい、握手でさらにパワーをもらえたようで、かなり緊張がほぐれました
座談会の一番始めにLICAさんが
「みんな来るべきしてここにきている」
と言っていました。
本当にそうだなぁと、絶対にここに来たのは意味がある!
オープンハートでスポンジのように色々と吸収しようと思いました(*^▽^)/★*☆♪
年始はご実家の神社で神職の仕事をしていたというFUMITOさんが君が代の本当の意味について話をしてくれました(LICAさんいわく、FUMITOさんは毎年新年会の時はよく神道の話をするとのことです)
↓この動画を紹介してくれました(*´ω`*)
☆☆☆☆
※以下の文は「神道の心を知る」というFacebookのページからお借りしました!(割愛した部分もあります)
【君が代の本当の意味とは?】
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
-----------------------------------------
「君が代」は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言う人がいますが、いまから千年以上もの歴史のある歌です。
「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
この年に編纂された「古今和歌集」の巻7に、「賀歌」の代表作として納められています。
後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族たちにとって「古今和歌集」の暗唱は、常識だったのだそうで、その「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。
つまり「君が代」は、貴族たちの慶賀の歌としても、常識歌だったわけです。
「君が代」は、その後に編纂された「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。
つまり、そうしなければならないほど、いまから千年もの昔から多くの人々に愛された歌であったということです。
「君」は君主をあらわすのではなく、実は、古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。
日本神話に登場する最初の男女神は、イザナキノミコト「キ」、イザナミノミコト「ミ」であり、「おきな=翁」「おみな=嫗」という言葉もあります。
イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。
その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。
「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。
つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。
二人は天つ御柱で出会い、
キ「我、成り成りて、成り余るところあり」
ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。
ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。
「成り」というのは、完全に、完璧に、という意味です。
その成りが二つ重なっていますから、「成り成りて」は、完全に完璧に成長したことを意味します。
完全です。
何の欠点もなく完璧に、ということです。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したのです。
ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった。
これは矛盾です。
余ったり、足りなかったりするのは、「完全」ではないからです。
完全体になったら、完全でなくなってしまったのです。
そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。
すると「子」が生まれたのです。
つまり「きみ」というのは、男と女、それも「成り成りた男女」をあらわします。
男女が「なりなりた」ことは、本人たちに喜びがあるだけでなく、親や親戚、教師など、周囲の者たちの喜びでもあります。
そしてまた、「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象でもあります。
ですから「きみ」は、「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、おめでたい、相手を敬う言葉となったのです。
従って、「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の喜びであり、「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。
その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。
ここまでだけでも、「君が代」とその背景となっている日本文化の素晴らしさがあるのですが、歌はさらに「さざれ石の巌となりて」と続きます。
「さざれ石」というのは、正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。
細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。
実はこの「礫岩」、日本列島が生成されたことによって生まれた、日本ならではの地勢が生んだ岩石です。
「さざれ石の巌と」なることは、それこそ何千年、何万年という、とほうもなく長い年月を必要とします。
昔の人が、そんな地学の知識をもっていたかはわかりませんが、ただ、礫岩を見て、長い年月をかけた自然の偉大な力には畏怖を感じたことでしょう。
同時に、とほうもない、何百年、何千年、何万年という寿命は、人間にはありません。
にもかかわらずさざれ石が巌になるまでというとほうもない年月、互いに協力しあうということは、何を意味しているのでしょうか。
ここにも深い意味があります。
日本では古来、人は生まれ変わるものと信じられてきました。
肉体は老い、死を迎えても、魂は再び人となってこの世に生まれる。
つまり、「さざれ石の巌となりて」は、「生まれ変わって何度でも」という意味としてもとらえることができます。
そして忘れてならないのは、さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となっているという点です。
ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力でみんなで団結したら、それは大きな「巌」となる。
つまりさざれ石は、
「きみ=男女」の結束、
そして生まれて来る子供達や新たに親戚となる者たちなど、
そのすべての人々が、
大きな力のもとで固く固く団結しあい、
協力しあうことの象徴でもあります。
そして最後に「君が代」は、「苔のむすまで」と締めています。
苔は、冷えきったり乾燥しているところには生えません。
濡れていて、水はけの良いところに生育します。カビとは違うのです。
つまり、濡れたものと、固いものがしっかりと結びついたところに苔は生えます。
【苔のむすまで】 むすとは天地に最初に現れた3柱の神のうちの2柱、タカミムスヒ、カミムスヒのムスを指します。
タカミムスヒとカミムスヒには性別はなくムスと言う字にコがつくと『ムスコ』になりメが付くと『ムスメ』となります。
また、『苔のむす』のむすを漢字で書くと『生す』と書き、生すとは子供を養い育てると言う意味があります。
つまり、苔は永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が誕生し、古いものが死に土となり徐々に広がりをみせます。
子孫繁栄を示しているのです。
日本の神道の中心にあるのは生むではなく、育てるということ。
苔の生すまでとは、古いものが土となり、新しいものを生み、育て繁栄しましょうという意味なのです。
すなわち「苔」は、「きみ=男女」が、互いにしっかりと結びつき、一緒になって汗を流し、涙を流し、互いにしっかりと協力しあい、長い年月をかけて生育する。
それは、男女のいつくしみと協力を意味します。
ですから君が代は、
「きみ」=完璧に成長した男女が、
「代」=時代を越えて
「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、
「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう
そんな意味の歌である、ということになります。
戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。
人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆
FUMITOさんがこのことを教えてくれ、本当に日本って知れば知るほど奥深く素晴らしい国だなぁと改めて思いました!
この愛に溢れたDNA((o(^∇^)o))
親から子へ脈々と受け継がれてきたのですね!
そして、ふと主人とのことを思いました。
スピリチュアル好きの私、かなり現実的な主人。。
うーん。
わかりあえているのか。。
一番近くの宇宙人みたいな(笑)。
向こうもそうなの思ってるのかも。
結婚して丸4年。
仲はよいのかもしれないけど、深いところはわかりあえてないかも。
むしろわかりあえないって諦めてた
まさかここで主人のことを思い出すなんて。
その③に続きます☆