友達に創価学会の子がいる。

その子に連れられて学会館にこの前行き、大作さんの著書を買ってみた。


読んでみると、すごく心に染みる本だった。グッド!


そこで今の私が必要なのは信仰することだったと気付いた。

これからは創価の教義を学んでみるか…だったら解りやすいがそうではなかった。


ネットでいろいろ調べていたら、禅宗って面白そうだなと感じた。

まだ全然よく知らないけれど。だから、こっちを先に学んでみようと思ったのである。


ごめん、友達。しょぼん


けれども大作さんの本で印象に残った言葉。彼の友人より引用。

「超えるのは他の誰でもなく、昨日の自分」グー


これにはすごく来るものがあった。


今までの私はまさに、他人と比べてしまいがちだったからである。

確かに、育った条件や元来の資質が異なる他人と比べても仕方ない。

それよりも、ライバルを昨日の自分として、そいつと競り合えば良い。

切磋琢磨する相手が自分、だなんてちょっとカッコイイ。


自然と人をさげすんだり、うらやましがる心が弱まった。偉人の言葉は偉大である。


最近、困っている人をみかけたらできる限り手を差し伸べることを心がけている。

昨日は荷物を持っているお兄さんに声をかけてみた。「大丈夫です」と言われた。

人を助けること、人の苦痛を和らげることに躊躇してはいけないと思う。つまり、遠慮はダメだ。

その人が助けは要らない場合もあるかもしれないが、進んで助けを申し出た方が

断られても後悔しない。だって、「ハイ、助けて下さい」とかえってくる場合もあると

思うから。


ところで今日は記念すべき初コメントを頂いた。一人でもこのブログを見てくれる人がいる

限り、私はこれを続けようと思う。


もう寝ます。おやすみなさい。











今週はじめから家族旅行に行っていた。

家族って本当に良いものだなぁってつくづく思った。

今私の兄弟家族はバラバラに住んでいるが、もっと早くにそれに

気づけばよかったと思っている。


私はこの5人のユニットの中で生かされていたんだなぁと思った。


なんとなく独りでも生きていけるような気がしていたけれど、

「家族の支え」っていうありきたりの言葉、これを考えた人は

すごいと思った。


私はこの家族のために何かしたい、そう強く思った。


9月半ばに弟がイギリスに行ってみたいと前から言っていた。

イギリス最高と私が言い続けていたからである。

じゃぁ、9月に私ももう一度イギリスに行って何か勉強する予定だから

一緒に行こうか、やったぁお姉ちゃん的な会話がなされた。


その時私は再渡英する気まんまんだったが、諸事情により

その気持ちがダレてきた。渡英する時期も中途半端だし、自分のやりたい

ことをそこでするのがベストかどうか判断がつかなかったからだ。


ビザを理由に弟との口約束を潰す…黒い考えが頭をよぎった。


けれど、この前弟が「おい、行くぞ」と私に言ったこの一言で、

私もまた、イギリスに行かなくてはいけない気がしてきた。


というより、家族のために何かしたい、という気持ちが本音だった。

弟の見聞を広めるためなら、行ってやろうじゃないかと思ったのである。

妹も一緒に行けたら楽しいだろうに…・と考えたりもしたので、

今度誘ってみることにする。


もう寝よう。




実はもう私は無職ではない。この前、アルバイトを始めた。

でもタイトルは好きなので残しておくことにする。私らしいので。得意げ


アルバイトは主にリハビリ目的。精神を患い会社を辞めた私が完全社会復帰するための踏み台である。


幸い、今の仕事をやっている中であまりにも自分の興味とはかけ離れており、自分の生涯を通じてやりたい

事に気づけたので、一石二鳥だった。雇って頂いた上司に感謝。


一方で、私はこの1か月、私は幸せになれない人間なんだと思い込んでいた。母の前でも泣いた。

本当に申し訳ないことをしたと思った。けれど、あの時は仕方がなかった。


前のように無邪気に他人の輪に入れない、というか入りたくない。なんでだろう。

なんでこんなにも暗くなってしまったんだろう。


それはやっぱり私が生涯通じて何かやり遂げなければと無意識に感じているから。

沈みきっていた時は、それが分からなかった。自分は何に向いているのか日々考えていた。

文字通り日ごとに変わっていった気がする。今日はマーケティング、昨日は国際協力。


考えに考え抜いた結果、私は社会福祉系の仕事がしたいんだと気がついた。ホームレス支援や

困った人を助けたり、難民の相談に応じたり。老人介護はあまり興味が無いけれど。

この道に進みたいと思ってから、本当に気が楽になった。ちなみに実現の場は海外である。


ひとえに私は多民族国家が好きだからである。それ以上の理由はない。また、移民の国についても

興味があるからだ。国の政策や他民族同士の関係性など。


もう眠いから寝るとするかな。


私はよく考えすぎと言われるけど、人に言われてそれをストップすることができない。必ず、自分で壁にぶち当たったり、つまずいてからそれを止める。多く考えると、どつぼにハマり、最悪死にたくなるが、ハマらず今回のように自分で納得のいく答を導き出す場合もある。今回は後者の方だった。


考えすぎる自分は嫌いでもあり好きでもある。嫌いなのは、必要以上にネガティブに考えてしまいがちだから。

必要のない暗さを味わうはめになる。好き、であるのは、他人が思いもよらない地点まで考えを及ばせる

ことができるから。分析が好きなのは、自分の分析が好きだからというところからきているのかも

しれない。


今日は結構書いたな。ほんじゃ寝よう。