自分の心は、実に不安定なものである。
不安、恐怖、苦しみ、悲しみ、悩み…
そんな事を考えて暮らしていると、
折角生きているのに生きた心地がしない。
その不安定な気持ちが、現実になったらさぁ大変。
「やっぱりこうなったか…」という心と共に、
自分や周りを責めたてる。
そうしなければ、自分の心を保てないからだ。
私も病気が発覚した時は、
毎日泣いて、悔やんで、苦しんで…
道を歩いている人にすら腹を立てていた。
そんな心では、生きたい命を生きているはずなのに、
生きていないかの様にのたうち回る。
これが悪い
あれが悪い
運が悪い
生まれが悪い…
一通り全部出し切った後、残ったものは醜い私。
後退しかなかった。
「違う、私はこう生きたいのではない。
欲しかった命を今生きなければ、明日があっても死んだように生きてしまう…」
そう思った。
怖い病気。
でももしかして怖いと思っているのは、自分の心だけでは…
そう思った。
本を記事を読み漁る。
治ったさんのエピソード。
先人に習うのが一番だと思った。
読んでいるうちに気が付く。
皆心を治していると。
心が川の上流で
身体が川の下流
いくら身体をきれいにしても、
心が濁っていると折角掃除をしてもまた元通りになってしまう。
手術をしても”再発”するという事は、
そういう意味なんだと思うと、心にすっと落ちた。
頭痛が少しでもすると、怖い
進行しているのではないか…
誰よりも思っていたのは自分だった
でもそこから抜け出さなければ、自分は生きれないと思った
だから、穏やかになる様な道を選んだ
不安になるなら病院へはいかない
恐怖を感じたら、生きている事に感謝する
気持ちがいっぱいになって笑えなくなったら赤信号
そんな時は、一人で自然の中を散歩する。
病気を忘れ、
何もない私で心地よい時間を過ごす。
一人だったら、やれ病気、やれ脳腫瘍と指摘する人がいないから。
心に隙間がなくなって病気になったのに、
まだ隙間がなくなる考え方をしてはいけない。
病気を作った自分に戻ってはいけないのだ。
病気があったって、名前が変わるわけでもない。
病気のレッテルを張っているのは自分であり、
実は自分は何も変わっていない。
でも「病気の自分」を作り出しているのは、
紛れもない自分。
自分が幸せになりたいのに、自分が自分を不幸にしている。
それが分かった時、
病気を忘れて、自分の人生を歩める。
病気が教えてくれてる。
「もういっぱいいっぱいなんだから、ここで休みなさい。」
と。
声なき声で言っている。
身体はいつも生きる事を選んでくれている。
私自身が心臓を止めようとしても、止められないのは、
身体が生きる事が大事だと分かっているから。
この世に命を貰ってから、身体はずっと応援してくれている。
必要なものをパワーにして、いらないものを捨ててくれている。
愛しかない。
そんな身体が病気で知らせてくれているのはなんだろう?
それに気付けたら、自分で苦しめていた心が解放される。
そして、自分以外を頼るのではなく、一番信頼できる自分を頼ろう。
そう、いつも答えは自分の中にある。
ここまで読んで下さり、誠にありがとうございます!
読んで下さった方が、心穏やかな毎日が過ごせる様に願っております。