生まれてから、普通に暮らしていると、

「生きている」事が当たり前になり過ぎてしまう。

しかし、いざ実際自分が病気になる。

すると、「生きている」事が当たり前ではなく、

とんでもなく素晴らしいものだったと気付く。

しかし、相手は病気。

病気とは戦わないといけないといけない、と殆どの人は思っている。

私達は、闘おうとする程、恐怖を感じ、疲弊し、絶望する。

生きたい…

生きたい…

生きたい…

何度も、何度も願ってしまう。

『今』を生きている事も忘れ、明日にしがみつく。

後、どれくらい生きれるの…

そう思うだけで、涙が出て来る。

涙が出る理由を知っていますか?

その期間が短いと思っているから。

自分の人生の短さ、別れの辛さが涙となっているのです。

願えば、願う程、辛くなる現実。

怖いよね、震えるよね、悲しいよね。


私は、ある日を境に、考え方を変えた。

『今』「生きている」事に感謝する事。

「生きたい」ともがくのではなく、「生きている」という現実を受け入れる事。

私が生きている今日は、誰かが生きたかった今日。

今日を手に入れている事が、どれだけの宝物か分かったから、

私はそれを大事に、大事にしようと思った。

自分を大切にしようと思った。

笑顔で過ごそうと思った。

宝物を光らせようと思った。

するとね、寝る前にやっと思える様になった。

「こんなに一日って素晴らしいものなんだな」って。

今までそんな風に考えた事なかった。

当たり前だから、感謝もしていなかった。

そんな素晴らしい一日、一日を積み重ねて来たら、

「明日はどんな事をしよう」

ワクワクしながら寝れる様になった。

満足感と希望の中で眠りにつく。
 

これほど最高な人生の過ごし方はないと思いませんか?

病気で思いつめた一日よりも、

同じ過ごすなら、幸せな一日を過ごそう。

そうする事で、穏やかに過ごす事が出来る。

争わず過ごす事が出来る。

自分を違う観点から見つめると、

こんなに幸せだったんだって気付こう。

雨上がりの虹の様に、

誰かが嫌った雨も、

自分の心に残る虹になればいい。


いつかのダブルレインボー

たった10分程でした。
この10分の間最大限に輝いていたのだと思うと、
儚く、強く、美しい。