今日は朝から、大学時代の親友とビデオ電話をした。
以前ブログにも登場した、夫を脳腫瘍で亡くした友達。

彼女は熱心なキリスト教徒で、
生物学や聖書に書かれている事以外は信じられないのだが、
私の事は理解しようといつも努力してくれる。

初めて彼女を見た時は、天使かと思うほど、
可愛くて、ニコニコしていて、親切だった。
彼女が私がアメリカに留学した時に出来た初めてのアメリカ人の友達だった。

私のつたない英語をいつも辛抱強く聞いてくれ、
どんな時も助けてくれたのだった。

卒業してからは、ずっと手紙でのやりとりを続けていた。
Facebookでのメッセージのやり取りも続けていた。

そして、ビデオ電話しようよ!という話になった。
最後に会ったのは、14年前。

テクノロジーに感謝した。

大学卒業して以来、英語を話す機会があまりなかった為、
彼女に英語力の低下について初めに言及していた。

彼女は、

「大丈夫よ!ゆっくり話せばいいかな?」

と、色々提案してくれた。

いざ話すと、英語が蘇ってきた。
何度かつまるが、でてくる英語。
私の中に、まだ英語があって、それをツールとして使い、
親友と話が出来ている。
こんな嬉しいツールを手に入れられた事に、とても感謝した。

彼女は、私と価値観が似ている。
彼女は私の病気も理解してくれ、とても心配してくれる。

「あなたが手術せず3年間生きている事。
これがその選択の答えだね。
もし、夫が手術する前に戻れたなら、私は手術をさせなかった。
手術をする前は、普通に歩けて、普通に話せて、
何でも普通に出来た。
しかし、手術が終わったら、半身不随になってしまった。
夫は、それですごく落ち込み、辛い思いをして亡くなった。」


と、自分を責めていた。
私の元気な姿を見ると余計そう思ってしまうのだろう。
そういう面では、申し訳ない気持ちになった。
その気持ちを伝えると、

「あなたは、自分の意見を貫けて素晴らしいよ。
誇りに思う。
私達は、手術をしないと怖い、という気持ちに負けてしまっただけなの。
あの時こうしていれば…と思うと、私の人生はそこから動けなくなってしまう。
でもね、夫がいない悲しみは一生あるけど、私は自分の人生を幸せに生きる、って決めているから。」


と。
辛い経験を越え、笑顔を見せる彼女。
どんなに気持ちが美しいのかと思った。

コロナのアメリカの状況についても話した。
彼女と息子は、1月にコロナにかかった。
しかし、普通の風邪より軽く済んだ様だ。

彼女の州では、
マスクはしなくても殆どの場所に入れると言っていた。
幼稚園も、マスクはしている子供は一人もいない。
日本は、どこに言ってもマスクを求められて、
マスクをしていなかったら指摘する人もいる、と伝えたら、

「自分がマスクしていたら大丈夫じゃないの?
マスクしている意味ってなんなの?」


と、驚いていた。
アメリカでは、マスクを奨励している州としていない州がある。
統計をとると、マスクをしていない州の方が、
コロナにかかっている人が少ない様だ。

マスクは不衛生になり、深い呼吸も私達から取り上げ、
免疫力も弱らせる。

「人間が一番気を付けないといけないのは、
『恐れる』という事。
恐れは、私達の身体、そして精神を蝕む。
それが病気に繋がると思う。」


と、言っていた。

ワクチンについても話した。

「私は受けないつもりだわ。
受けてもなるんだったら、意味がないし、
私達は既にかかったから。
それに、マイクロチップが埋め込まれている事、
ワクチンによって沢山の死者が出ている事、
私の周りにコロナの人が殆どいない事、
から考えると、ワクチンを受ける事によって心配したり、
怖がったりしたくないからね。
でも、ワクチンを受けない事で怖がる気持ちがある人は、
受けた方がいいと思うの。
それぞれの価値観を尊重したいし、私はその人の為に祈るわ。」


と、言っていた。
私が思っている通りだった。

彼女も自分の意見を言った時、
おかしい、と注意された事があると言った。
その中で、地球の裏側にいるのに、出会い、
気持ちや意見を通じ合わせる友達。

自分が自分である事を許してくれる彼女に出会えた事、
彼女も私の前ではリラックスして何でも話してくれる事、
そんな友人に出会えた事。
それが何よりも大きなギフトだと、再度確認した。

ここまで読んで下さり、誠にありがとうございました。
読んで下さった方が、久しぶりの生命を息吹かせる為の雨を楽しんでいます様に願っております。


雨の時は、何故か身体を休める気持ちになります。
そんな時は、玄米をゆっくり噛み、三年番茶をゆっくり飲みます。
噛めば噛むほど旨味を感じる玄米。
大好きです。

 

有機野菜・無添加食品の宅配ネットスーパー【らでぃっしゅぼーや】