三浦春馬さんの訃報を知りました。
ご冥福をお祈り申し上げます。

私には高校時代からの友人で自殺した人がいます。
彼と最後に会った時、少し寂しそうだった事。
そして、

「人間っていうのは、所詮社会の歯車でしかない。」

と言っていた言葉を忘れる事が出来ない。
その時彼は、転職活動をしているとも話していたので、
気持ちは前向きだと思っていた。

しかし、その数ヵ月後に彼の訃報を聞いた。

私は、彼のSOSの声を聞いたのに、
何もしてあげられなかったのが辛かった。

関西出身で、おもしろい彼。
いつも周りを盛り上げ、でも真面目な所もあり、
文学が好きだった。

東京に飲み込まれてしんどかったんだろう…。
最後は自分の地元まで戻ってきたのに、
実家へたどり着かずに命を絶ってしまった。

どんな気持ちだったのだろう。
苦しみながら最後なんて思ったのだろう。
寄り添えなくてごめんなさい。


私は病気になって、病気による苦しみ、
家族や友達の悲しみ、周りからの目…
生きる事を諦めたくなった時は、正直何度も、何度もあった。
怖かった、逃げたかった。

しかし、色んな人の人生に触れる度に、
自分を見つめる度に、
生かされている自分を大切にしないといけないと思った。

30歳前半で脳腫瘍になったって、
周りから「若いのに可哀想…」と言われた事もある。
私は自分の命の長さより、今生きている事が大事だと思った。


満足して、感謝して生きていると、
今日精一杯生きた充実感で満たされる様になった。

今までは社会からどう見られているか、
そんな事ばかり気になっていた。
心が失われていっていたのだ。
田舎へ引っ越し、ありのままで生きていると、
社会からの目を気にしていた自分から解放された。

死後の世界には何も持っていけない。
持って行けるのは、この心だけだと思う。

家族を残す事も心配だろう。
やりたい事を残す事も辛いだろう。

でも、精一杯生きて、毎日自分の最大限を生きていたなら、
それで持って行けるものがもう用意されていると思う様になった。

誰か基準の自分にならなくていい。
自分基準でいい。
自分が自分なんだから。
自分が幸せな自分を歩む。
社会の歯車になっていたら、抜け出して欲しい。

辛い事に耐えなくていい。
誰かに何かを言われてショックを受けたのなら、
その人から離れればいい。
ぴったり寄り添ってくれる自分を信じて、抱きしめてあげて欲しい。
どんな時も一生懸命心臓を動かし続けている自分を見つめると、
愛しく思えてきます。

その頑張りに、その励ましに、気付いて欲しい。
自分の命の声に耳を傾けれるのは、
あなたです。

でも一人ではありません。
ブログでしかお話した事がない方ばかりですが、
知らない私の方が話しやすいという事もあると思います。
私は聞く事しか出来ないかもしれません。
でも良ければメッセージを下さい。
ブログで沢山頂いた気持ちを、私も誰かに渡したいと思っています。