心に寄り添う

出来ている人は実は少ない。
私は自分の心に寄り添う事すら出来ていなかった。

小さな街で育ち、三人兄弟の末っ子。
皆とっても可愛がってくれた。
小さい頃から自信満々で、
人の心に寄り添うより、
自分が人の上に立つ様な心を持っていた。

そんな自分に大きな変化があったのは、
一年間の交換留学だった。

英語力を上げ、交換留学生を勝ち取り、海外に出た。
そんな日本が私には窮屈過ぎたのだった。
 

英語が話せる様になれば、もっと自分は変わる。

何の根拠もない考えを持ち続けた。

しかし、いざ留学してみると、
思っていたものとは全く違った。

ホストファミリーが若い夫婦で、いつも機嫌が悪かった。
お弁当は一日で作ってくれなくなった。
門限も決められているが、家の電話番号も分からない。
家事は全て自分でこなさないといけないし、
シャワーの時間も決められていた。
一緒にソファで過ごそうとすると、決まってため息ばかりつかれ、
話をする事もなかった。

英語も話せない私は、余計に怖かった。
何かを注意される時は、一方的でしかなかった。

初めて学校へ通う日。
朝はホストファザーが車で学校まで送ってくれた。
時間にして15分程。
何も話す事がなかった私は、ずっと窓の外を見つめていた。

学校へ行くのは、この日が二度目だった。
家で窮屈な思いをしていた私は、友達が欲しく、
学校へ行ける事にワクワクしていた。

学校に着いた時、ホストファザーは信じられない事を言った。

「帰りは歩いて帰ってね。」

耳を疑った。

道も知らない、
地図もない、
携帯もない。
学校からの道が全く分からないのに、
徒歩で帰らなければいけないなんて…

学校の授業なんて全く頭に入らなかった。
ただただ帰りの時間が怖かった。
迷ったらどうしよう…。
誰にも相談する事が出来ず、
不安だけだった。

朝窓から見た風景を必死で思い出しながら、いざ帰路に着いた。
合っているかも分からない道。
無我夢中で歩いた。

一時間歩いた所に、ふと現れた日本庭園。

ニュージーランドにこんな所があるなんて…

一人でそっと椅子に腰を掛けた。

自分を慰めてくれている様で、ふいに涙が流れた。
日本の家族や友達の顔が目に浮かんだ。

「自分が選んだ道は険しすぎたのか…
自信満々に行き過ぎて、人に迷惑を掛けてしまったから、
こんな事が起こったんだ…
皆ごめんなさい。
いつも嫌な思いをさせてごめんなさい。」

ただ自分を責める事しか出来なかった。
15分くらい休んでいただろうか、
頼れるのは自分だけという事を再確認し、
涙をぬぐい再度家路についた。

方向音痴の私だったが、
帰らなければという必死な思いしかなかった。

その思いだけで、記憶を頼りに歩き続けた。
日本庭園から更に一時間歩いた時、
家が見えた。

辿り着くしかないという気持ちだけで、
うっすらしかなかった記憶を呼び起こし、
ここまで辿り着いた事。

これから色んな事があるだろう。
何があっても自分で解決するしかない。
だって、自分が選んだ道だから。

心に強く思った。

家に着くと、ホストマザーがいた。
彼女は小学校の先生だったが、いつも帰宅は早かった。
私が話しかけられる事はなかった。
つたない英語で何度話しかけても、
一言、二言で返されて終わりだった。

自分の英語力がつたなすぎて、聞くのもしんどいのだろう…

毎日英語を必死に勉強した。
学校でも友達が出来、一生懸命に話した。
それでもじわじわとしか英語力は上がらなかった。

三ヵ月してやっと英語が聞ける様になり、
会話もそれなりに出来る様になった。
しかし、いくら話しかけても私達はずっと赤の他人だった。

自分が出来る事は全てした。
いつも母に任せていた選択、食器洗いも部屋の掃除も。
母は一人で家族全員の家事をしていると思うと、
いつも見て見ぬふりをしていた自分が恥ずかしくなった。

ニュージーランド人のコーディネーターに相談した。
この人は仕事をしたくない人で、いくら話をしても聞き入れてくれなかった。

「あんないい人達なのに、そんな事を言うあなたがおかしいと思うよ。」

家庭訪問をされた時も、
ホストファザー、ホストマザー、そしてコーディネーターが三人で私の悪口を言った。

門限には帰ってこない

決められた時間にシャワーをしないから、迷惑だ
部屋から出てこない

頑張っている自分が全否定されている気持ちになった。
ただ泣くしか出来なかったが、泣くという方法で伝わると思っていた私が甘かった。
まさか、コーディネーターが問題なしと報告するとは思わなかった。

悲しい気持ちになればなるほど、ここにいてはいけないと思った。
私は残りの半年を違うホストファミリーの家で過ごしたいと、
訴え続けた。

相変わらず現地のコーディネーターは無視し続けたが、
異変に気が付いた日本人のコーディネーターが私に連絡をくれた。

嬉しかったが、この半年ホストファミリーとコーディネーターに批判され続けていたので、この人にまで否定されたら…

と思うと震えながら、失敗しない様にと言葉を選んで話した。
彼女は私の気持ちを誰よりもくんでくれた。

「あなたは間違っていないわ。
コーディネーターは怠慢な人で、仕事をしていないわ。
だって、報告もないのよ。
安心して。私が違うホストファミリーを見つけて上げるから。」

冷え切っていた心に温かい気持ちが戻ってきた言葉だった。

それからは急展開だった。
二週間後には温かいホストファミリーに出会えたのだ。
可愛い子供達といつも笑顔のホストマザー。
いつも本当の家族の様に受け入れてくれた。
いつも私の気持ちを気遣ってくれた。
私も他の人に対しての接し方が変わっていた時期だった。
毎日が笑顔で包まれていて、時間は飛ぶように過ぎていった。

帰国の途につかなければいけなくなった日。
私達は涙で顔がぐちゃぐちゃになった。
色んな事があったが、
こんな素敵な半年を過ごせて、幸せだと心から思った。
不安な中送り出してくれた家族や友達、そして先生にも感謝した。


ここまで読んでくれてありがとうございます。
読んで下さった方が、素敵な一日を過ごせる様願っております。


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