やっと分かった


自分が我慢してきた事
自分がずっと自分を押し殺してきた事
自分が間違いだと思ってきた事

脳腫瘍になった原因は、
なんだろうとこの二年間以上考えてきた。

倒れた時は、
幼稚園の役員で苦しんだ。
ビジネスも忙しかった。
完璧主義もあいまって、
寝る暇もなく、PCの前で椅子に座って寝る日々だった。

過労だと思った。
まずは休もうと。

脳腫瘍になってから、一つ一つやめていった。

完璧主義をやめた。
出来ない事は今しなくていいんだと分かる様になった。
そうすると、自分を認める様に、自分を大切に出来る様になった。

しかし長年凝り固まった私。
やめれないものもあった。

強く生きる事

10年以上生まれた土地を離れて生きてきた。
主人は年の1/3は出張や仕事でいなかった。
頼れる人がいなかった。
一人で子供二人を守るしかない。
東日本大震災も東京の7階のマンションにいた。
主人は出張中。
放射能の報道もあり、不安で不安で仕方がなかったが、
子供を不安にさせてはいけないと、娘に、
また自分に言い聞かせる様に、
「大丈夫だよ!」と言った。
お腹の中の息子に影響が出ない事をただただ祈った。

その時、妊娠していた私は、
ストレスがどんどん積み重なっていった。
主人に対しても色々思っていたが、
仕事を頑張って欲しいからと、
何も言わずにいつも通りお弁当を作って持たせ続けた。
主人より先に起きて、遅く寝る生活。
一人で泣きながら家事をした。
ほぼ一人で育児をしていて、育児ノイローゼにもなっていたと思う。

そして、主人の前で過呼吸になってしまった。

その時に言われた言葉は、

「それ、過呼吸やで。」

だけだった。
「大丈夫?」という言葉は一回も言われた事もなく、
次の日も心配もされなかった。
違和感を感じたが、私が強がったからだと思った。

混乱の東京の中、余震も続いた為、
関西の実家に帰る事を決めた。
実家にいる事で、過呼吸も全く出なくなった。

2人目を出産した時、主人はアメリカに4ヵ月実務研修で行った。
私は実家で親に助けて貰いながら、のんびり過ごした。

主人が帰ってきて、名古屋に転勤になった。
主人は一人で東京から名古屋に一人で引っ越しをしてくれた。
(お任せパック)

「あー、一人で引っ越しは本当に大変だった。
二度とやりたくない。」

と、言われた。
私は手伝えない事を謝った。

次の日に引っ越しが終わったから、もう来ていいと言われたので、
4ヵ月の息子と、2歳の娘を連れて名古屋のマンションへ行った。

初めて一人で二人の子供を連れて名古屋に降り立った。

ドキドキ、ワクワク、不安。
色んな気持ちが錯綜した。
しかし、部屋に入って愕然とした。
段ボールがベッドのものとお風呂のものしか空いていなかった。
息子が寝転ぶ場所もなく、食器もどこにあるか分からない状態。
そして、

「俺は明日から忙しくて、五時に起きて出社して、
夜中まで仕事やから。」

と、言われた。
何も出ていない段ボールで埋め尽くされた部屋に、
子供達と残された。
土地勘も全くない中、どう一人で片づけて、
子供達のお世話を一人でしたのか、
その当時の記憶は殆どない。

離婚

の文字が頭に浮かんだが、

「4ヵ月以上離れていたから、
子供達に一日も早く会いたかっただけ。仕方がない。
子供達も嬉しそうだからよかった。」

煮えたぎる自分の心を抑えて、
そう思うようにした。

東京で結婚生活をスタートさせてから、
お金がなかったし、主人の身体も気遣って、
毎日お弁当を作って水筒も持たせた。
名古屋生活が始まってから、またお弁当を作り始めた。
とにかく自分の好きな仕事で精一杯成果を出して欲しい、
それが家族の為だから私は支えよう!

風邪でも熱が出ても、お弁当を作り続け、
自分が食べたくなくても、主人が昼寝をしている横で、
マスクをしてご飯を作り続けた。
食に興味がわいた私は、外食する事を殆どせず、
家族の為にご飯を三食きっちり作り続けた。

その頃から右側の痺れが出る様になった。
しかし、名古屋から関西は近かったので、
休み毎に帰れる事を目標に耐えた。

続く…

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。
読んで下さった方が、素敵な一日を過ごせる様願っております。