病気になった時に、
私は「病気になってしまった…」とショックを受けた。
倒れた日の朝までは、

朝4時に起きておにぎりを作り、
富士サファリパークへ出かける用意をしていた。
その日を境に私は、
本物の病人になる事に心を決めてしまった行動をする様になった。

倒れた時に、顎を激しく打ち大出血していたのだが、
後はてんかん発作の痺れがある程度。
動き回る事も、ご飯を食べる事も出来たはずだったと今は思う。

しかし、「脳腫瘍」という大病の烙印を押された私は、
ただただしょんぼりし、心まで閉ざし、
何もかもが嫌になってしまった。

母の涙が、自分の親不孝さを物語り、
主人が私に明るく接する事が、
自分の命の先が短い事と言っている様な気がしていた。
子供の不安そうな表情の涙にぬれた瞳は、
自分を責める理由としては十分すぎたのだった。

言動も、病気が発覚する前後はマイナスな事しか言えなかった。
宣告されてからは、
生きているけど、ただ死を待つだけだと思った。
特に病気が分かってからは、
起きても意味がない、食べても意味がない、
とさえ思っていた。

ベッドから起きる事を止め、ただただ眠る毎日。
寝ている時は、好きに夢を見れるから、
てんかん発作の痺れからも解放されるから、
また嫌な事を考えなくて済むから楽だった。

今なら思う。
自分が自分で「病人」らしく生き、
本当の「病人」になってしまっていたと。
自分の意識は、完全に「死」へ向かっていた。

医師からの宣告は、この世のものとは思えないほど、
自分を切り刻んんだと思う。
私と同じ心持ちになった方は沢山いらっしゃると思う。

だから、こそ今回から何回かにわたり、
「病人」から脱出する方法をお伝えしたいと思う。
今思えば鬱だった私が、脱出出来たのは、
考え方を変え、言葉を変え、行動を変えたからだったのだ。

つまりそれらを変えれば、脳も勘違いして、
「あ、元気だった!」と思うのである。


脳は言っている事、やっている事と
現実の状態との違いを嫌うので、その差を埋めようとする。


まず「病人」となってしまった私は、こんな感じでした。

・元気がない
・肩が落ちている様に見える
・縮こまっている

・ため息をつく
・マイナスの言葉を使う

・自分の世話をしない
・鏡を見ない
・外へいかない

・運動しない

・笑わない

・全てに対して腹が立つ

・自分が哀れだと思う

・自分が嫌い

・口数が少ない
・未来に希望を見出せない
・不安だけが心を埋め尽くす
・何もする気が起きない

今思い出すとこんな私だった。
こんな私を1ヵ月程続けると、本物の「病人」になってしまった。
立ち上がると、立ち眩みに襲われ、
顔も老けてしまった。

「病人」とはなんでしょう。

=病んでる人

そう、まさしく私だった。
でも、よく考えると、
脳腫瘍、前から私の頭にあったはずです。
サファリパークへ行った日に突如出来たわけでもない。
私が気付かなかっただけで、実はずっと共存してた。
「病気に気が付いた」って私が知らなかっただけ。

なのに、医師からの宣告だけで、
私は自分を「病人」に作り上げてしまった。
誰が見ても病人で、本当に、
「同情するなら脳腫瘍を取ってくれ!」
という尖った状況でした。(今だから言える。汗)

では、そんな「病人」の要素を全て満たした私が、
自分を客観的に見つめ、
何を変えていったか、をまとめていきますね。

ここまで読んでくれてありがとう♡
読んで下さった方が素敵な一日を過ごせる様、願っております♡