引越しが終わって数ヵ月後、私はパソコン一台でビジネスを始めた。

右も左もわからなかったが、社会と繋がりたい、とずっと思っていた為、

挑戦する事にした。

私は海外の大学を卒業して1年で結婚した為、社会人経験が1年しかなかった。

しかし、主人の収入ばかりに頼る自分が嫌だった。

結婚が決まった時、父が言った。

「折角留学までしたのに、勿体無い。」

その言葉がずっと私を縛り付けていた。

私は、親不孝な結婚をしたのか…
留学までさせてくれたのに、恩返しも出来なかった…

父の一言が何年たっても後悔の念と共に消えなかった。

一円でも利益が出ると、私にも出来るんだ!と心を高ぶらせた。

沢山稼げる様になったら、親に色んな事をしてあげたい
子供達に好きな事をさせてあげたい
放射能のない地域へ一年のうちに何度か行く事も出来る

色んな事が、稼ぐ事により解決する気がしていた。


その合間に、末期癌を治した先生から自然療法の講座を月一回受ける様になった。

自分は食べ物等ちゃんと気を付けている、と思っていたが、先生が徹底的にされているのを見て、

自分にはそこまでは無理だ…。

と、自分の限界を感じた。
完璧主義だった私は、それだけで自分が落ちぶれている様でストレスを感じた。

しかし、取り入れれる範囲で取り入れていこう!と思った。

先生は色んな事を教えてくれた。
本当に役に立つ知識やレシピばかりだった。

ある日先生が、

「〇〇ってお鍋、身体に悪いのよね。使っている人いたら可哀想だよね。」

と、言った。

私はその言葉に、はっと気が付いた。
愛知県にいた時の自分と重なった。

人を非難する心を持っている自分に愕然とした。
そして、そんな気持ちになりたくない、人に嫌な思いをさせたくない、と思った。

しかし、その気持ちは知識に阻まれ、中々改善出来なかった。


幼稚園の送り迎えは、過酷だった。

毎日往復10キロの道のりを電動自転車に息子を乗せていた。

息子の幼稚園は、横浜を一望できる様な坂の上にあった。

私の身体も絞られていった。


息子が年長になった時、幼稚園の役員をしなければいけなくなった。

この頃、少しずつビジネスが回ってきた。

役員を引き受ける余裕は全くなかったのだが、他に出来る人がいなかった事と、

息子が登園班内で最年長になってしまった為引き受けた。

私はバザー委員になった。

しかし、息子が年中の時のバザーには参加出来ていなかった。

娘の発表会があったからだ。


毎年同じ時期にある発表会。

それはその年も同じだった。

しかし、バザーも発表会も日程がその時点ではまだはっきりしていなかった。

そして、日程が重なっても大丈夫と前任のバザー委員の方に言われて、引き受ける事になった。


バザー委員は、私を含めて三人だった。

初めて他の二人とお会いした時、まだ発表会とバザーの日程は決まっていなかったが、

重なる可能性がある事を伝えておこうと思った。

一人の方は、すぐに理解して下さり、

「それは是非発表会を優先してあげて下さいね。」


と言ってくれたが、もう一人の方がすかさず、

「え、私も仕事あるのに。バザー委員がバザーに参加しないなんて、前代未聞。」


と、言った。

私は鈍器で頭を殴られた様な衝撃を受けた。

…この先、この方と上手くやっていけるか、不安になった。



ここまで読んでくれてありがとう♡


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