今年こそ「AMAB」「AFAB」の概念が浸透する年になってほしい | Xジェンダーで二次元愛好者な私 ~性別二元論とシスジェンダー中心・異性愛前提主義への疑問~

Xジェンダーで二次元愛好者な私 ~性別二元論とシスジェンダー中心・異性愛前提主義への疑問~

当ブログでは自らのセクシュアリティの話を中心に社会における性の概念や二次元の話など、あらゆるテーマを扱います。なお、当ブログの内容はあくまで私一個人の意見や考えとして書いています。

今の時点においてもまだ「AMAB(Assigned Male at birth)」(生まれた時に割り当てられた「性別」が「男性」であるという人のこと)、「AFAB(Assigned Female at birth)」(生まれた時に割り当てられた「性別」が「女性」であるという人のこと)の概念が浸透したと言うことのできる状況にはありませんが、私は今年こそ「AMAB」「AFAB」の概念が浸透する年になってほしいと思っています。「AMAB」「AFAB」の概念の浸透は「トランスジェンダー」の当事者や「ノンバイナリー」の当事者の人権の向上の上ではもちろん、「男性」という概念、「女性」という概念、子どもを作る可能性に関する問題、月経に関する問題、妊娠・出産に関する問題が包括性を持ったものになるためにも重要なことだと言うことができることです。

 

今の社会では「シスジェンダーの男性」が「GSRM」に該当することや「セクシュアリティ」に関すること以外の「マイノリティ」に該当することが理由で「男性」の括りや子どもを作る可能性に関する問題の当事者の括りから排除されたり、「シスジェンダーの女性」が「GSRM」に該当することや「セクシュアリティ」に関すること以外の「マイノリティ」に該当することが理由で「女性」の括りや月経に関する問題の当事者の括り、妊娠・出産に関する問題の当事者の括りから排除されたりすることもよくあります。そしてそのようなことに対し何の疑問も持たないという人も、今の社会にはごく当たり前のようにいます。前述したようなことがなくならず、また前述したような人がいなくならないのは、今の社会において「男性」という概念、「女性」という概念、子どもを作る可能性に関する問題、月経に関する問題、妊娠・出産に関する問題が包括性を持ったものではなく排他性を持ったものとして扱われているからです。

 

「シスジェンダーの男性」が「GSRM」に該当することや「セクシュアリティ」に関すること以外の「マイノリティ」に該当することが理由で「男性」の括りや子どもを作る可能性に関する問題の当事者の括りから排除されたり、「シスジェンダーの女性」が「GSRM」に該当することや「セクシュアリティ」に関すること以外の「マイノリティ」に該当することが理由で「女性」の括りや月経に関する問題の当事者の括り、妊娠・出産に関する問題の当事者の括りから排除されたりすることがあるのも、前述したことに対し何の疑問も持たないという人がいなくならないのも「男性」という概念、「女性」という概念、子どもを作る可能性に関する問題、月経に関する問題、妊娠・出産に関する問題が排他性を持ったものとして扱われていることが原因ですが、その「男性」という概念、「女性」という概念、子どもを作る可能性に関する問題、月経に関する問題、妊娠・出産に関する問題が排他性を持ったものとして扱われる原因の1つにも「AMAB」「AFAB」の概念がこの社会に浸透していないことがあると言うことができます。「AMAB」「AFAB」の概念がこの社会に浸透していないことが社会の考える典型に当てはまらない「男性」の「男性」の括りからの排除、社会の考える典型に当てはまらない「女性」の「女性」の括りからの排除を生み出し、そこから「トランスジェンダー」の排除や「ノンバイナリー」の排除を生み出し、その流れから今度は「シスジェンダーの男性」であってなおかつ「GSRM」に該当するという人の排除、「シスジェンダーの女性」であってなおかつ「GSRM」に該当するという人の排除を生み出し、そして「シスジェンダーで異性愛者の男性」であって社会における「マイノリティ」に該当するという人の排除、「シスジェンダーで異性愛者の女性」であって社会における「マイノリティ」に該当するという人の排除を生み出すこととなってしまっていると言うことができます。「AMAB」「AFAB」の概念が浸透するようになった場合、そもそも「男性」という概念、「女性」という概念、子どもを作る可能性に関する問題、月経に関する問題、妊娠・出産に関する問題それ自体が包括性を持ったものとして扱われるようになるため、それに伴い上記のようなことはなくなり、また上記のような人もいなくなっていくと考えられます。

 

「AMAB」「AFAB」の概念の浸透の問題は「トランスジェンダー」の当事者や「ノンバイナリー」の当事者に限らず、誰にでも関係のあるものだと言うことができるものです。「男性」という括りからの排除、「女性」という括りからの排除、子どもを作る可能性に関する問題の当事者の括りからの排除、月経に関する問題の当事者の括りからの排除、妊娠・出産に関する問題の当事者の括りからの排除は何も「AMAB」「AFAB」の概念が浸透していないことのみが原因で起こっている問題であるというわけではありませんが、「AMAB」「AFAB」の概念がこの社会に浸透していないことにより生じる排除の問題は多数あるため、「AMAB」「AFAB」の概念は早くに社会に浸透させていく必要があると私は考えています。そして今年はその年になってほしいと思っています。

 

なお、私はこの記事で初めて「AMAB」「AFAB」の語を用いましたが、今後私は生まれた時に割り当てられた「性別」が「男性」であるという人を指す際に「AMAB」の語を、生まれた時に割り当てられた「性別」が「女性」であるという人を指す際に「AFAB」の語をそれぞれ用いることとします。また、この記事の内容と直接の関係があるわけではありませんが、「男性」に近い立場にある「ノンバイナリー」の当事者を指す際には「ノンバイナリーボーイ(Non-binary Boy)」の語を、「女性」に近い立場にある「ノンバイナリー」の当事者を指す際には「ノンバイナリーガール(Non-binary Girl)」の語をそれぞれ用いることとし、加えて生まれた時に割り当てられた「性別」が「男性」である「ノンバイナリー」の当事者を指す際には「AMABのノンバイナリー」と、生まれた時に割り当てられた「性別」が「女性」である「ノンバイナリー」の当事者を指す際には「AFABのノンバイナリー」とそれぞれ表記することとします。詳しいことはまた別の機会にお話ししますが、これらの概念がより社会に浸透しやすいよう、これらの表現を積極的に用いていきたいと思います。