幼い私にとっての私の立ち位置は
児相なのかなって思う。
だって冷静だもん。
だいたい暴力振るうわ暴言は吐かれるわぞんざいに扱われるわ、なんて奴のそばに居たがるなんて普通しないでしょ?
実家にいる頃、現実を見せてきたけどずっと「愛されたい…もしかしたら今度こそ愛されるかも…」とか言って、自分がボロボロなのに母に尽くすんだよ。
どんなに尽くしても母には愛されないし
これからも愛されないのに
「今度こそは愛されるかもしれない…」
って尽くし続けるんだよね。
もう救いようがないよね。
母が少し優しくするだけで期待しちゃうんだよ。
もうTheDV被害者って感じ。
そして言葉の刃でメッタ刺しにされて死ぬ
までの流れが定番だった。
私の目の前で幼い子どもが大の大人にナイフでメッタ刺しにされ続けてんだよ?
救いたいじゃん。
助けたいじゃん。
守りたいじゃん。
でも
そう思えるようになったのは
児相に出会って児童養護施設に暮らしたから。
私がいた児童養護施設がまともでちゃんと機能しているところだったから。
だから今がある。
『自分が育った場所は普通じゃなかったんだな』
って思ったのは
児童養護施設を出て数年後だけどさ。
というか、むしろ母になってから自覚したようなもんだよね。
妊娠中から始まった走馬灯のようなフラッシュバックでキレーに母の記憶だけ抜き取られておさらいさせられたからな。
そしてまた児相と関わったから。
そこで貰った虐待の資料を見て
どの虐待にも当てはまってることを知った時に
『私の感覚は間違ってなかった』
って思ったもんね。
つまり
【私が傷付いたのは当然だった】
ってこと。
私が傷つきやすい、とかじゃなくて。
傷付いて当然だったんだよ。
蓮の件で児相と関わっている時に
私の生い立ちを聞き取る日があったんだけど
話してたら
聞いてた担当さんが
「本が書けますね∑(๑ºдº๑)!!」
って言ってたぐらいだからな(´∀`*)ケラケラ
メモ用紙に書き足しても書き足しても終わらなかったもんね(´∀`*)ケラケラ
出るわ出るわ話のネタがザックザク(´∀`*)ケラケラ
うちは昼ドラよりぐちゃぐちゃだから(´∀`*)ケラケラ
波乱万丈って言葉じゃおさまらない(´∀`*)ケラケラ
私の人生はすべて壮絶だからな(´∀`*)ケラケラ
人の不幸は密の味タイプは私の話を聞いたらさぞかしい楽しいだろうなって思うわ(´∀`*)ケラケラ
甘々でさぞかし幸せだろうなって思う(´∀`*)ケラケラ
そこに当時どんな気持ちだったかを加えたら
どんなスイーツよりもスイーツよ(´∀`*)ケラケラ
自分に暴力を振るう人がいないのもそうだけど
目の前で暴力を振るう人がいないって凄いよね。
羨ましいよ。
暴力がない世界を選べるって羨ましい。
私は選べなかったから。
自分で自分の現実を選べるって
いいよね。
はぁ…頑張らないと。
今は
自分の現実を自分で選べる環境だから
頑張らないとな。
幼い自分を守りながら
1歩1歩
確実に前に進まなきゃ。
あの子は称えられるべきなんだ。
35年経った今もなお母を愛しているのだから。
尽くそうとして、心に寄り添おうとして、わかろうとして、理解しようとして、離れて暮らしていても幸せにしようとしているのだから。
散々殺されてきたのに
今もなお
幸せにしようとして
どうしたら母を幸せに出来るのか考え続けてる。
まるでワンコね…。
子どもの愛って永続的ね…。
それに応えようとしない母は
やっぱり罪人よ。
許したらいけない人だ。