先日の記事で、重たいものは軽々と、軽いものは重々しくについてお伝えしました。

 

色々な意味にとらえられるこの言葉。

その中から2つはこちらの記事に書きました。書いた後に、色々なことを思いめぐらし、今日は3つ目の意味をお伝えしたいと思います。

 

 

 

凍えるような寒い日に、熱い一服のお茶は、体の中をひと筋、お抹茶がスッーとおりていくのを感じられるくらいに、しみじみと味わい深いものです。

 

冷暖房がなかった昔は、控えの間の「火鉢」(手あぶり)や、茶室ではお釜を懸けている「炭火」が、部屋を温める手段でした。湯を沸かすためにある炭火は、結果的に部屋もあたためていますね。

 

私は表千家お家元の初釜に行ったことがあるのですが、重要文化財の建物には、冷暖房器具など取り付けられないので、廊下のあちこちにまで、石油ストーブが焚かれていました。

それなのに、とーーーっても寒い。

1月初めの京都は底冷えがして、着物を着ていても冷えました。

 

こんなとき、「寒い寒い」と口にしながら、本当に寒そうに歩いていると、みっともないどころか、ご亭主や準備をしてくださった方たちに失礼に当たります。

 

関係者の方々は、幾日も前から部屋を整え、前日から部屋をあたため、当日もまだ暗いうちからストーブを焚いて、お客さんたちが少しでも寒い思いをしないようにと、支度をしてくださっていたに、ちがいありません。

 

お客さんは、どんなに寒くても、寒いそぶりは一切見せず、楽しく美味しくお菓子とお茶をいただくことが、マナーであり、茶の湯の楽しみ方ですね。実際、寒い日のお茶は、心も体もあったまります。

 

 

話はもどって、

「重たいものは軽々と、軽いものは重々しく」は、

「寒いときはぬくぬくと、暑いときは涼やかに」と同じだと思うんです。

 

 

亭主は、お客様に暖かく過ごしてもらえるように、心をくだきます。招かれた客は、その亭主の気持ちに応え、美味しくお菓子とお茶をいただき、主客ともに楽しく過ごします。

 

 

一服のお茶で、心と心が通い合い、一期一会を楽しむことが、茶の湯の醍醐味。

 

 

あなたも、お茶の稽古を始めてみませんか?