信貴山(しぎさん)につたわる聖徳太子の伝説です。
長いこといがみ合っていた、
仏教推しの聖徳太子+蘇我軍と、神道(しんとう)推しの物部軍がとうとう戦をはじめました。
聖徳太子+蘇我軍の本拠地は大和国(やまとのくに)、飛鳥(あすか:現在の奈良県、明日香村)
物部(もののべ)軍の本拠地は河内国(かわちのくに)、稲村(現在の大阪府、八尾市)
山脈をはさんで東が聖徳太子側、西が物部氏側となります。
先に兵を集めていたのは物部氏。蘇我氏の軍備が整うまえに闇討ちしようと、闇にまぎれて飛鳥に進撃してきました。
やばい!このままだと即行負ける!ということで、聖徳太子が蘇我軍に指示をだします。
「松明(たいまつ)をあるだけ燃やしなさい。もちきれないぶんは地面につきたててでも燃やしなさい。そして声のかぎり全員で一晩中さけぶのです。」
暗闇を利用して、あたかもこちらの兵が二倍も三倍もいるように見せかけようという寸法です。このときの聖徳太子はまだ12歳。
この聖徳太子の妙案で物部氏は怖気づき、夜襲をかけてこなかったということです。
そしてこの間に蘇我氏は、ほかの豪族たちを説得し味方につけ、翌朝には物部と同等以上の兵力をあつめることができたのだとか。
そんなこんなで序盤は聖徳太子勢が優勢。
あれよあれよという間に、物部氏の本拠地の手前、ちょうど現在の大阪府柏原市あたりまで物部軍をおいこみました。
しかしこのままやられる物部氏ではありません。
土壇場で息をふきかえした物部氏。今度は聖徳太子勢がどんどんせめられ、ついに大和(奈良県)側まで後退させられます。
そこにあるのが、今回の舞台、信貴山です。

寅、寅、寅×信貴山=毘沙門天
必死の攻防をくり広げるなか、聖徳太子は当時なもなき山だった信貴山を目にします。
そして太子はピンときました。
『この山、すごい霊山やんか。がんばって祈ればこの窮地を脱せるかもしれん。』
そこですぐに聖徳太子はこの山にむかって祈願しました。どうかこの戦の必勝法を授けてほしいと。
たまたまなのか、太子の計算なのか、今となってはわかりませんが、ちょうど太子が祈願したのは寅年、寅の日、寅の刻。
寅が三つかさなったときでした。
すると、太子の祈りを聞きとどけたかのように毘沙門天(びしゃもんてん)が大陸から空を飛んで、その山の上に降臨されました。そして太子に必勝法を授けたのです。
結果、聖徳太子勢はいきおいを取りもどし、ふたたび物部勢を河内までおいつめ、総大将、物部守屋の首をとったのでした。
この戦の勝利があったからこそ、のちに日本に仏教が広くひろまることとなるわけです。
そしてこの伝説から、寅は毘沙門天の神使(しんし:神の使い)といわれるようになりました。
信貴山に行くと、奉納されたたくさんの寅の石像や置物があります。他では見ない不思議な光景です。

ちなみにその虎の石像の中には夜中になると動き出すものがいるそうです。さすがに虎は危ないので、今でも檻の中に入れられています。
勝利の寺、信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)
毘沙門天はもともと中国の神であり、この戦があるまで日本に降臨されたことはありませんでした。
そこを聖徳太子が神通力(じんつうりき:すごいちから)と山の霊力をつかって、はじめて日本にお呼びしたわけです。
この伝説から、毘沙門天は勝利の仏として人々からあつい信仰をあつめることになります。
信貴山には朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)という立派なお寺がありますが、交通アクセスの決してよくはない山の上のお寺であるにもかかわらず、多くのアスリートが必勝祈願にやってきます。
ちなみに寅にまつわるお寺(しかも大阪に近い)ということで、阪神タイガースは毎年かかさず参拝されているそうですよ。
戦のあと、聖徳太子はこの山を「信ずべき、貴ぶべき山である。」として『信貴山』と名付けたそうです。
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