ママ子ですニコニコ








とっても久しぶりにブログを

書かせていただきますおねがい




だいぶ復活しましたびっくりマーク

爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑

ありがとうございますえーん




またぼちぼち書いでいかせてもらいたいので

よろしくお願いしますおねがいドキドキドキドキ






突然、穴に隠れるようになる私…ガーン



ごめんなさいえーんあせるあせる






どうにもこうにも

『人とのコミュニケーションの取り方』

がわからなくなることがありまして…えーんえーん





ちょっと

『わたし』について

知ってもらえたら嬉しいので



嫌われるのが怖いですが

書かせてくださいおねがい




おねがいおねがいおねがいおねがいおねがい





もともとのわたしは

人とお話ししたり

遊んだりお茶したりするのは

好きなんですおねがい飛び出すハート




小さいときから社交的、

人前に立つことも大好き、

割とリーダー的な存在で

そんな自分が好きでした爆笑





その一方で

幼稚園の時から

『なぜ人は生きてるのか?』

『呼吸しないといけないのはなぜ?』

など哲学的な分野で

悩み苦しむことも多く…





こんなことで悩む自分は

『変』なのかな?

って自分が嫌で怖い時もえーん




そんな中

14歳のときに父を亡くし

強烈に『死』に直面したことで

『生と死』について

余計に悩むようになりました





それからは

『寝る』🟰意識がなくなる🟰『死』

と思い、、

怖くて

寝ることもできずあせる





しだいに

自分の『意識』と『肉体』が分離する

感覚に陥り。





浪人したこともあり

自分というものが

しっかりと『地』についていないように

ふわふわと白黒世界で

もがき苦しみましたえーん





いつ這い上がれるのかと

不安でしたが

そのときはデカルトの言葉に

助けられました




大学に入学でき

教養で哲学の講義をうけたとき

『デカルト』の『我思うゆえに我あり』

という言葉に出会ったのです





この世界は

見ているものは

触れているものは

すべて虚構かもしれない

生きてるということさえ虚構かもしれない

でもこうして悩みに悩んでいる

自分の意識は存在しているのだ




おおまかにこんな感じの意味なんですがあせる

自分なりの解釈がかなり入ってるので

間違ってるかも、、ごめんなさいえーん





同じようなことで

悩む人がいることを知り

あ、わたしだけじゃない

と安心できたんです





同時期に夫くんと

付き合うようになり




『泣くこと』を覚えました

泣けるようになったのです




父が生きていたときは

普通に泣いてました



でも

父が病になってからは

一度も泣けたことはありませんでした





父の病を信じたくない

父の死を受け入れられない




という気持ちと





泣き叫んでいる母をこれ以上心配させたくない

憔悴しきっている母の前では笑顔でいたい




という思いから

泣くことを一切やめました





父の死のときも

葬儀のときも

何があっても泣きませんでした




でも

20歳に夫くんと出会って

夫くんが抱きしめてくれた時

6年ぶりに

心から泣けたんです




心に閉じ込めていた

父がいない寂しさ

不安、孤独が

一気に溢れ出て




ひたすら泣かしてくれました





泣いたことで

気持ちを整理することが

できはじめ

大学生活は落ち着いて

過ごすことができましたにっこりにっこり




でも、

就職して

また新たな障害が、、えーんえーん




ちょっと長くなってしまったので

また続き書かせてくださいニコニコ