もうすぐ三姫の卒乳の日。
(母の意思でやめるので断乳というのかもしれないけど
一応三姫にもお話ししてる&断乳っていう響きより
卒乳の方がさわやかな気がするから卒乳ということにする(笑))
一姫&二姫は1歳のお誕生日に卒乳
その後、心理学などを学ぶ機会があり
「2歳までは母乳をあげた方がいい」と知り
三姫には2歳まであげることに。
実際2歳まであげてみると
いいことも困ることも多々あり
色々考えた上で
やっぱり2歳のお誕生日で卒乳することにした。
気分はすっきりさっぱり
卒乳に対して何の未練もなかった。
はずが
残り10日になった頃から
私の気持ちに変化が
今まで
正直めんどくさいな~って思うこともあった
おっぱいタイムが
なんだか急に
貴重な時間に変身
所構わずおっぱいを欲しがるので
ちょっと前までは
「早く2歳にならへんかな~」
「もー早くおっぱい終わりたいわ~」
って思ってたのに
「もうちょっとあげてもいいのかな?」
「この時間がなくなるのもちょっと寂しいかも」
「こんなにおっぱい大好きやし可哀想かな…」
なんて思ってる私…
今日も
「あと5日で2歳やね~
2歳になったらぱいぱいバイバイできるかな~?」
「もうちょっとやな~いっぱい飲んでね~」
と言いながらの授乳中に
ふと思ったこと。
そっか。
終わりがあるからいいんや~
終わりがあるから有り難いんや~
終わりがあるから余計に今を大事にしようって
思えるんや~
授乳にも終わりがあるから
(終わりを意識したから)
「今この瞬間」を
貴重な時間として
ありがたく感じられる。
そういえば
卒園間近の二姫。
幼稚園まで一緒に手をつないで
歩いて行けるのもあとちょっとか~って思うと
急に貴重な時間に感じて
行き帰りを楽しもう!
ってはりきっちゃう
それに
ちょっと失礼な話やけど
94歳のおばあちゃんに会いに行く時って
すぐとは思わなくても
「もしかしたら最後かも」
「だから今思ってることは全部伝えよう」
って思ってる私がいる。
(もちろんまた会えるって信じてる上で…)
でも本当のところ
私たちの世界でいう「終わり」は
誰から順番にくるかわからない。
自分より子どもが先に…
なんて考えるだけで寂しいけど
でも絶対にないことじゃない。
(魂は死なないっていう前提で…
肉体がなくなることの寂しさの話)
「終わり」を意識するって
ものすごく寂しいことかと思ってたけど
実は「今」を楽しむために
「今」に感謝できる素敵な方法なのかもしれない
って思った
ちょっと極端かもしれないけど
「もし自分の命があと1年だったら」
「もしあと3ヶ月だったら」
「もし今日が最後の日なら…」
これ
自分が本当にやりたいことが
出てくる可能性大な気がする
笑
「今」を楽しむのがちょっと苦手な私には
「終わり」を意識して楽しむ
そして「今」本当にやりたいことを知る
練習もいいかも~
そのうち
「終わり」を意識しなくても
「今」一番やりたいことをできて
思いっきり楽しめるようになりたいな
(母の意思でやめるので断乳というのかもしれないけど
一応三姫にもお話ししてる&断乳っていう響きより
卒乳の方がさわやかな気がするから卒乳ということにする(笑))
一姫&二姫は1歳のお誕生日に卒乳

その後、心理学などを学ぶ機会があり
「2歳までは母乳をあげた方がいい」と知り
三姫には2歳まであげることに。
実際2歳まであげてみると
いいことも困ることも多々あり

色々考えた上で
やっぱり2歳のお誕生日で卒乳することにした。
気分はすっきりさっぱり

卒乳に対して何の未練もなかった。
はずが
残り10日になった頃から
私の気持ちに変化が

今まで
正直めんどくさいな~って思うこともあった
おっぱいタイムが
なんだか急に
貴重な時間に変身

所構わずおっぱいを欲しがるので
ちょっと前までは
「早く2歳にならへんかな~」
「もー早くおっぱい終わりたいわ~」
って思ってたのに
「もうちょっとあげてもいいのかな?」
「この時間がなくなるのもちょっと寂しいかも」
「こんなにおっぱい大好きやし可哀想かな…」
なんて思ってる私…

今日も
「あと5日で2歳やね~
2歳になったらぱいぱいバイバイできるかな~?」
「もうちょっとやな~いっぱい飲んでね~」
と言いながらの授乳中に
ふと思ったこと。
そっか。
終わりがあるからいいんや~
終わりがあるから有り難いんや~
終わりがあるから余計に今を大事にしようって
思えるんや~

授乳にも終わりがあるから
(終わりを意識したから)
「今この瞬間」を
貴重な時間として
ありがたく感じられる。
そういえば
卒園間近の二姫。
幼稚園まで一緒に手をつないで
歩いて行けるのもあとちょっとか~って思うと
急に貴重な時間に感じて
行き帰りを楽しもう!
ってはりきっちゃう

それに
ちょっと失礼な話やけど
94歳のおばあちゃんに会いに行く時って
すぐとは思わなくても
「もしかしたら最後かも」
「だから今思ってることは全部伝えよう」
って思ってる私がいる。
(もちろんまた会えるって信じてる上で…)
でも本当のところ
私たちの世界でいう「終わり」は
誰から順番にくるかわからない。
自分より子どもが先に…
なんて考えるだけで寂しいけど
でも絶対にないことじゃない。
(魂は死なないっていう前提で…
肉体がなくなることの寂しさの話)
「終わり」を意識するって
ものすごく寂しいことかと思ってたけど
実は「今」を楽しむために
「今」に感謝できる素敵な方法なのかもしれない
って思った

ちょっと極端かもしれないけど
「もし自分の命があと1年だったら」
「もしあと3ヶ月だったら」
「もし今日が最後の日なら…」
これ
自分が本当にやりたいことが
出てくる可能性大な気がする

「今」を楽しむのがちょっと苦手な私には
「終わり」を意識して楽しむ
そして「今」本当にやりたいことを知る
練習もいいかも~

そのうち
「終わり」を意識しなくても
「今」一番やりたいことをできて
思いっきり楽しめるようになりたいな
