遅ばせながら…
あけましておめでとうございます

大晦日~2日まではパパの実家で過ごし
そのまま私の実家で弟も加えて夜ごはんすき焼き

そして昨日は私の両親+おばあちゃんで
ランチに行ってきましたランチ

みんなが元気に揃って迎えられるお正月kagamimochi*
去年は母が倒れたり
弟の手術があったり
おばあちゃんの体調が良くないこともあったので
改めてありがたいなぁと思いました嬉しい

で。

一昨日、夜ごはんをみんなで食べた後
私が台拭きでテーブルを拭いていると

94歳のおばあちゃんが
「私は座ってるだけで何もせんとごめんね~」
「ありがとね~」
と声をかけてくれた。

「なに言ってんの~
おばあちゃんはそこに座ってくれてるだけで
充分やで~笑顔

と言ったと同時にふっと
心屋さんの“存在給”という言葉が頭に浮かんだ

初めて“存在給”の話を聞いた時
「なにもしてない自分に
価値なんてあるわけないやん!」と
心の中で迷いなく言い切った私反省パンダ

おばあちゃんは今は
車イスで一人で歩けない
実働でいえば、ごはんを作ったり
後片付けをしたり掃除をしたりもしない。

見方によれば
そこに座っているだけ使えない

もちろんいつもあたたかく見守ってくれて
いつも優しい声をかけてくれるしあわせ

子育て中の私を見て
「三人も育てて大変でしょ~
えらいなぁ~」と労わってくれるハート
(おばあちゃんは4人育てたはずだけど苦笑

そんな優しくて大好きなおばあちゃん
だからかもしれないけど

おばあちゃんを見て
“存在給”の存在を認めた私がいたー

「わたしだから、もらえる」
「わたしだから、役に立とうが立とうまいが、豊かに暮らすことはあたりまえ」

この言葉を聞いたとき
ものすごーく違和感&反発心があったけど

「わたし」を「おばあちゃん」にかえたら

「おばあちゃんだから、もらえる」
「おばあちゃんだから、役に立とうが立とうまいが、豊かに暮らすことはあたりまえ」

うん、納得ビックリマーク


同時に

「そこにいてくれるだけでありがたい」
「そこにいてくれるだけで価値がある」

って心から思えた自分がいたスキ

写真は↓存在給力?!の高すぎる二人
(おばあちゃんと三姫

IMG_1181.JPG


そして

私は孫だからかもしれないけど
おばあちゃんがイライラしたり
あたふたしたり
セカセカしているところを
見たことがない

感謝を忘れず口癖は「ありがたい」
いつも穏やかで優しいおばあちゃん女性

そんなおばあちゃんに関わる人は
みんなにこにこ笑顔で優しい気持ちになる嬉しい


“自分が出した波動がかえってくる”

これぞ引き寄せ!

こんな近くに「いい気分を保つ達人」がいたなんて!!*

私は気が短いし
せっかちやし
バタバタしてるし
すぐイライラしちゃうけど汗

いつか私もおばあちゃんみたいに
なれたらいいなぁって思ったー

一歩づつでも1センチずつでも
近づけるように

今年は
「いい気分でいられる選択をする」
を大切にすごそーっとアゲ


そして

いつか自分の“存在給”も
認められる日がくるといいなぁ