出典
著書名 「誰も教えてくれなかった 死の哲学入門」
著者名 内藤 理恵子
出版社 日本実業出版社

 

哲学者らが死に対してどのような考えを持っていたのかの

概略を知りたくて読み始めた。

 

章立ては以下のとおり

 第1章 死も哲学も神におまかせキルケゴール対

      絶対精神黙示録ヘーゲル

 第2章 永遠回帰で死なないニーチェ対

      無意味な生を終わらせる死ショーペンハウアー

 第3章 イデア論という理想世界へ望むプラトン対

      終活の元祖ソクラテス

 第4章 厳密なる現象学の師フッサル対

      西洋哲学の死生観を更新したハイデガー

 第5章 ハイデガーがスポイルした

      「死の不安」を哲学するヤスパース

 第6章 無時間世界を生きるヴィトゲンシュタイン対

      革新的な死生観を示しながら壮絶死したサルトル

 第7章 死から甦ったキリスト対

      いまも生きている空海そして、日本的霊性を発見した鈴木大拙

 第8章 釈迦は死について何を語ったのかそして、

      手塚治虫は釈迦の死をどう描いたのか

 第9章 日本人の「あの世」のイメージ『往生要集』源信対

      キリスト教的他界観『神曲』ダンテ

第10章 ともに宇宙観に強く結びついた死生観中世哲学者ブルーノ対

      現代物理学セーガン

 

【備忘・所感】 

・ハイデガーの死生観では、死は「完成」である。

 しかし、死が「人生経験の積み上げのゴールであれ」というのは、

 人間の切なる「願い」ではあるけれども、天国などの後生を想定しない限り、

 誕生前と死後に差異はありません。サルトルはそこに意味を見いだしえない。

 死とは「虚無」なのです。と言っていた「無神論」のサルトルでさえ、死に近づくと

 キリスト教への信仰を告白していた。

・ニーチェは永劫回帰(生を繰り返す)で生を補強し、死の意味を消した。

・様々な哲学者の他に手塚治虫など哲学者以外の比較等もあり興味が

 もてた。

・結局のところは、死後の世界を考えてるものが多く死とは宗教的なものとは

 切っても切り離されないと思われた。

・この本を通して考え方のヒントを得て、興味のある人の著書を読んで

 知見を広めるきっかけになる本であった。

・鈴木大拙の「真実界とは浄土、方便界を娑婆と云ってもよい」

 →「人間はだれでも浄土とこの世に同時に存在している」という

   考えには興味が惹かれるものがある。