本日は、グレイスマリさんが企画された新潟県のミニ神社ツアーに参加してきました~☺️


東京駅の新幹線の中から、テンションあげあげ➰✨
なぜなら、今回、初めてのMAXとき!
そしてその2階席!
いつもと視界が違う~👍💕



景色を眺め、友人とラインしながら乗っていたら、直ぐに長岡駅に到着➰✨
8時24分→10時04分
あっという間でした~☺️


長岡駅へ着くと、前回の「長岡ひとり旅」とは違った展示がされていました‼️




なになに~🤗
縄文⁉️






なんか、縄文時代、きてますよね➰✨
幸せな時代だったそうですね。
また、そんな時代が来ると良いなぁ✨

あっ、マリさんとの待ち合わせ時間が〰️💦
と思ったら、少し、遅れるとの連絡あり✨
ラッキー👍
まだ、駅で気になるものを発見していたので~🤗




山本五十六‼️
連合艦隊指令長官‼️
凄い方が、長岡市のご出身だったのですね~。
ちょっと、調べたのですが、父親が56歳の時の子供だから、五十六(いそろく)と名付けられたそうです〰️💦
ちょっと、笑っちゃいました~🤗笑笑



サフラン酒‼️
初めて聞くお酒でした〰️💦
摂田屋も、調べてみました~‼️
ここの蔵の鏝絵蔵(こてえぐら)がとても珍しいとのこと。
下の写真の右上が、その蔵ですね~。
「日本一の鏝絵の蔵」とあります。
ちょっと、大人のロマンを感じました➰✨
長岡駅の隣の駅、宮内駅から徒歩10分にあるそうです。
是非、一度、そのロマンを観に行きたいと思います~☺️






米百俵の長岡…。

<以下、引用開始>

米百俵(こめひゃっぴょう)とは、幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士小林虎三郎[1]による教育にまつわる故事。

ー内容ー

河井継之助が率いた北越戦争戊辰戦争の一つ)で敗れた長岡藩は、7万4000石から2万4000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵のが贈られることとなった。藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

と諭し、自らの政策を押しきった。

この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であり、洋学局と医学局が設置された。この学校は士族によって建てられた学校であるが、一定の学力に達した庶民の入学も許可された。国漢学校は、現在の長岡市立阪之上小学校、新潟県立長岡高等学校の前身となった[3]。なお長岡藩江戸上屋敷にも国漢学校があり、長崎に医術の修行のため内地留学[4]も出していた。

<引用終了>

なるほど。

素晴らしい話しですね~✨


そして、待ち合い室にあった羊➰✨




なになに、これ?




ほ~🤗
長岡造形大学の作品なんだ~☺️

素敵な作品ですね~💕👍
癒される~✨

あっ、そろそろ、行かないと〰️💦
改札口へ。



お~‼️
開業120年なんですね~✨

改札口を出て少しすると、ピンクのコートのマリさんが歩いて来ました~🤗
そこに、数人、集合。
いっぷくさんもいらっしゃって~。
マリさんと、いっぷくさんの車に分かれて乗車することに…。
車が、停めてある駐車場へ移動‼️

マリさんの車に乗車し、宝徳稲荷神社へ。

手水舎‼️



中宮へ。




綺麗な朱色ですよね➰✨
見てるだけで、心が洗われます~🤗
中宮出入り口からの景色‼️




清々しい✨


奥宮へ、続きます➰✨