冬至が終わり、新年最初の二十四節気「小寒」を迎えました。

寒さが本格的に始まる「寒の入り」と呼ばれるタイミングです。

寒くなる、というより
静まっていく。
外の動きが止まり、世界が内側へ向かうような時間。


17年前、実家に初めて保護猫が来ました。
コンビニの駐車場で弱々しく鳴いていたところを保護され、縁があり実家にきました。
男の子
雪のようにふわふわの毛並みだったので、
名前は「ユキ」。

娘が13歳の頃で、
まだ家族が「家族」として同じ場所に集まっていた頃。

その後、
黒猫の子猫を保護し、
キジトラの兄弟も迎え、
実家には4匹の保護猫がいました。

ユキは、そのすべてを見てきた猫でした。


母が亡くなり、
黒猫も亡くなり、
キジトラ兄弟の一匹も亡くなり、
家族の形は、少しずつほどけていきました。

人が減り、
猫が減り、
「集まる場所」だった実家は、
もう以前とは違う場所になっていきました。

ユキは自身の姿を少しずつ変えながら季節の移ろいを私たちに見せてくれていました。


そして、
冬至が終わり、小寒に入る頃。
ユキは静かに亡くなりました。

季節が切り替わる、その入口で。


不思議なことに、去年の12月頃
私のサロンに、ふわふわの白猫がふらっと現れたことがありました。

いるはずのない場所に、
いるはずのない白猫。

その姿を見た瞬間、
頭で考えるより先に、
「ユキちゃんだ」と思いました。

理由はありません。
説明もできません。

ただ、
そう感じたんです。

たぶん私は、もう実家には戻らない。
そのことを、
言葉にする前に、身体ではわかっていたのだと思います。

ユキは、
その変化を感じ取って、
最後に「区切り」なのか、
「さよなら」なのか、
彼なりの挨拶を置きに来たのかもしれません。


それは悲しい終わりというより、
ちゃんと終わるという感覚。


小寒は、
「何かを始める節気」ではありません。

七十二候を見ると、

芹は寒さの中で育ち始め
凍った泉の底では水が動き
雉はまだ寒い中で、声だけを先に出す

すべて、
見えないところで始まっているけれど、
まだ表に出さなくていい時間。


私は人間は自然物だと教わりました。
そして、動物も、自然の一部だとしたらー
季節の終わりに命を終えることは、
もしかしたら、とても自然なことなのかもしれません。

次の季節に無理についていかず、
ちゃんと、終わる場所で終わる。

私はそれを、
「綺麗な亡くなり方」だと感じました。

美化したいわけでも、
意味づけしたいわけでもなく。

ただ、
季節とズレていなかった
その静けさを教わったように感じるんです。

小寒は、
動かなくていい節気です。
決めなくていい時間です。

終わるものが、終わっていく。
始まるものは、まだ水面下にある。

その間にある、
この静かな余白を、
大切にしていい。

ユキが教えてくれたのは、
そんな季節の感覚でした。

この記事をまとめながら、

“家族って、薄いものなのかもしれない。”

そう思いはじめました。


でも、たぶん違うー

薄いのではなく、
レイヤーが違うだけ。


とても薄い層が、
幾重にも折り重なり、
家族という「思い」になっていく。


その層の一部が、
折り重なるのをやめた瞬間。
それは、

——母が亡くなったあの時。

音が止まるように、
家族という層は、
重なるのをやめていきました。

それは、壊れたのではなく、
終わったのでもなく、

ただ、
自然な変化だったのだと思います。

すべて自然。
ありのままの姿。

ユキも、
家族の思いの層の一部。

またひとつ、
折り重なっていた音が、
静かに消えた。

すべて自然。
ありのままの姿。









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こんにちは。

静岡から見える世界をくるっと変える

心と身体、運命の調律師 ゆみです。


1月2日。

新年早々、不機嫌になった。


理由は些細なことかもしれない。

でも、私にとっては「雑音」だった。


年末までは

「仕事始めは軽く出て、早く帰ってくるよ」

そう聞いていた。


でも実際は、通常通り21時まで仕事。

それを、前もって知らされていなかった。


私が聞かなければ、

仕事始めの当日の朝、いきなり知らされていたかもしれない。


——なんで言わないの?

——一緒に暮らしてて変更があったら伝えない?


そんな思いが一気に噴き出して、

気づいたら私は不機嫌になっていた。


あー

新年から感情にのまれてる…


やれやれ

という気持ちでいつも通りやり過ごそうと思っていた


「感情に飲まれている」のではなかった

― 雑音を流せなくなっただけ


「あー、私ってほんと感情にのまれやすいよなぁ」


って思ったけど、途中で違和感がきた。


あ、違う。

感情にのまれてるんじゃない。

雑音を、もう流せなくなっただけなんだ。


「このくらい、いいや」

「まあまあ、なあなあで」


そうやって誤魔化してきた時間が長かったからこそ、

もう自分を騙せなくなってる。


だから不機嫌になる。

だからザワつく。


たぶんこれ、私だけじゃない。


雑音は消すものじゃなくて、

ちゃんと聴いたほうがいい音なのかもしれない。



夫婦喧嘩の中で「自分を守る」ということ

― 距離を取る選択は逃げじゃない


夫と話した時、

私は正直、かなり口が悪くなりかけた。

そして、

声も大きくなりそうで、

ヒートアップしそうだった。

だから、途中でその場を離れた。


「1時間、ほっといて」


そう言って距離を取った。


あとで考えた。

これって、自分を守れたってことなのかな?って。


完璧じゃない。

大人の対応でもない。


でも、

自分の感覚をなかったことにはしなかった。


それだけは、確かだった。



夫婦は鏡?白雪姫の「鏡」が教えてくれること

― 信じていたからこそ、壊れてしまう関係性


そんなことを考えていた時、

なぜか頭に浮かんだのが**白雪姫の“鏡”**だった。


「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」


あの鏡。

あれって、本当に“ただの鏡”だったんだろうか。


ふと思った。


あれ、“旦那だったんじゃない?”って。


夫婦は鏡。

相手の言葉は、自分の内側を映す。


最初は「あなたが一番美しいよ」と言ってくれていた夫。

でも、娘である白雪姫と離れて暮らすようになり、

ある日ふと、軽い気持ちで言ってしまった。


「この世で一番美しいのは、白雪姫だよ」


冗談だったのかもしれない。

深い意味なんてなかったのかもしれない。


でも継母は、

自分の老いにも、

白雪姫の若さにも、

もう薄々、気づいていた。


そこに追い討ちをかけるように、

“信じていた鏡(夫)”から、その名前が出る。


信じてたからこそ、

裏切られたように感じてしまう。


そして――

鏡を割る。


物語では「鏡を割った」だけだけど、

象徴的に言えば

関係性を壊したとも言える。



感情に揺れやすい40代・50代の私たちへ

― 精神のバランスは、思っているより繊細



これは、昔話じゃない。

私たちの年代に、いちばん起こりやすい話だと思う。


精神のバランスなんて、

本当はすごく繊細で、

簡単に揺らぐ。


疲れ

老い

役割の変化

夫婦関係

親子関係


全部が重なる時期。


だから、

壊してしまう前に必要なのは

「我慢」でも「前向き思考」でもなくて、


俯瞰視点なんだと思う。



鏡を割らないために必要な「俯瞰視点」

― 感情の渦から一歩外に出る


感情の渦中から、

一歩外に出て眺める視点。


「私は今、何に反応してる?」

「これは“今”の問題?それとも過去の残響?」


そうやって眺めるだけで、

鏡を割らずに済むこともある。



雑音は、無視されてきた自分の声

― 書くことで、生きている証になる


雑音は悪者じゃない。

雑音は、無視されてきた自分の声。

今回の私も、きっと同じ。


事前に共有されなかったこと。

感情より合理が優先されたこと。

「仕事だから仕方ない」で片付けられたこと。


それが、

私の中の「もう戻りたくない場所」を

はっきり映した。


だから、雑音になった。


記事にすることで、

言葉にすることで、

それはちゃんと生きてる証になる。


だから私は、

今日も雑音を書く。


鏡を割る前に、

俯瞰を思い出すために。


だから、気づけた今はまだ間に合う。



鏡を割った瞬間、世界が変わったんじゃない。

割る前から、世界はもう歪んで見えていた。











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新しい年のはじまりにご挨拶


こんにちは。
静岡から見える世界をくるっと変える
心と身体、運命の調律師 ゆみです。


新しい年
『丙午』
を迎えました。

今年も、
「世界がくるっと変わる瞬間」
をご一緒できたら嬉しいです。




年越しラーメンで感じた違和感|活気があるのに静かな空間


12月31日。
私たちは、年越し蕎麦ならぬ「年越しラーメン」をランチで食べました。

そのお店はチェーン店で、
知っている人は知っている、うまいラーメン屋さん。
国道沿い、工業地帯にあって、
どちらかといえば「働く男の店」という雰囲気です。

ラーメン屋といえば、
活気があって、
鍋や食器がカチャカチャ鳴って、
その音と一緒にラーメンをリズムよくすする。

私はずっと、
それが当たり前だと思っていました。

でも正直なところ、
追い立てられるように食事をするのが苦手で、
その活気が、年齢とともに少しずつしんどくなっていたのも事実です。

ところが、です。

その日入ったラーメン屋さんは、
働いている方たちはとてもイキイキしていて、
士気も高い。
なのに、追い立てられる感じがまったくない。

鍋や食器の音も最小限で、
旦那さんと
「本当に作ってるのかな?笑」
なんて、コソッと話したほど。

店内は満席。
それでも提供時間が気になることもなく、
食べるスピードを意識することもなく、
ただ、落ち着いてラーメンを啜ることができました。

活気があるのに、静か。
そんな空間でした。



「変わる=180°真逆」だと思い込んでいた私


この時、私はふと気づきました。

私は今まで、
「変わる」ということを、
180°真逆になることだと思い込んでいたんだな、と。

今の自分とは真逆の考え方。
真逆の在り方。
それくらいしないと、
「変わった」とは言えない。

そんな頑なな思いが、
自分の中にこびりついていたように思います。

だからカウンセリングでも、
「今とは真逆の考え方になれたら、もっと楽なのに」
そんなふうに感じることがありました。

でも、あのラーメン屋さんは違った。

騒がしい=活気
急かされる=ラーメン屋
という当たり前を、
静かに、やさしく裏切ってきた。



気づいた瞬間、もう“さっきまでの私”じゃない


その時、はっきりわかったことがあります。

気づいた瞬間、もう“さっきまでの私”じゃない。

真逆にならなくてもいい。
大きくひっくり返らなくてもいい。

当たり前だと思っていた定義が、
ほんの少し書き換わっただけで、
見える世界は、ちゃんと変わる。





今日の私を明日に持ち越さなくていい理由


私たちはつい、
「今日の私が、明日も続いていく」
そう思って生きています。

でも本当は、
明日は、今日の続きなんかじゃない。

今日の続きの私を、
無理に演じなくてもいい。

「私とはこうあるべき」
そんな当たり前を、
毎日、少しずつ書き換えていってもいい。

三が日は
新しい年の始まりであると同時に、
新しい自分を選び直せる日。






一年の計は元旦にあり|新しい私を選ぶスタートの日


一年の計は元旦にあり、
なんて言いますが、

今年の年末、
今の自分からは想像もしていなかった私になっているかもしれません。

もしかしたら、
思っているより、ずっと早いかもしれない。

スタートすれば、必ず変わる。
だから今日、ここから始めてみませんか?








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