海外勤務と旅と出会いの記録

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20から旅を始めていつの間にやら20年以上経ちました。その間15年外国で働いています。心を動かされる素晴らしい人々に出会い、沢山学びました。そんな出会の記録をシェアしていきたいです

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香港の週末の楽しみ方の一つにボートでの小旅行があります。
夏になるとお食事とお酒飲み放題のイベントがあちらこちらでありますが(若者中心)、もはや若者生活からはもう脱皮した私は、今週末少し大人なボートに乗せていただいてランタウ島に(空港のある島)にハイキングに行くことになりました。

中心となる香港島の南側からビルの合間を縫ってスタートです.(普段はCentral piar から公共のフェリーに乗れます)


香港島の周りを時計回りに船で進み、ランタウ島(空港などもあるしましょう)に向かう途中、香港島西端のケネディタウン(Kennedy town) からすぐのGreen island (青洲)という緑いっぱいの無人島が見えます。島のアイコンはこの灯台。

天気も良く平和だなと見渡していると、同乗していた香港在住28年の方に「そこは1990年代までベトナム人の難民拘置所として使われていた島なんだよ」という衝撃のお言葉が😅。。


調べるとあまり情報が出てこないものの(黒歴史だからでしょうか)、要約するとこんな感じです。

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1975年のサイゴン陥落(つまりベトナム戦争の最期に北ベトナム軍(共産側)が南ベトナム(民主派)の大統領のいるサイゴンの官邸を完全占拠し、共産主義陣営が南北ベトナムを統一した事件)から1997年(香港返還)の間に民主主義の南ベトナムから共産主義を恐れた多くの難民イギリス領であった香港亡命を求めてやってきました。


(Wikipediaからお借りしました)

初めの数年は政府も難民として受け入れ、難民キャンプがところどころで場所で作られたようですが、1980年代になり西洋諸国が難民の受け入れ人数を減らすと香港への難民の数が急激に増え1日300人を超える難民申請者が流れ込み1990年代にピークに達しました。


1980年代からは増え続ける難民の受け入れが困難となり、香港政府は政治的な亡命が必要であると証明できない場合には強制送還することを決めたそうです。

そのためにこのgreen islandを含めた幾つかの島は拘置所として使われるようになったのですが、亡命申請者がは増える一方で審査が追いつかず、多くの亡命申請者が結論を待つために何年もの間ここに幽閉されていたそうです。人権団体などが酷い扱いだと抗議してた様子もあります。


また、難民申請は20-30%しか受け入れられず、何年も幽閉された後に本国送還となる人が増えると、大きな暴動も起き、多くの人が命を落としたようです🥲

90年代ってつい最近な気がしますが本当に最近の出来事。共産主義から逃れて亡命と聞くと、つい最近の香港で起きた事件思い出します。デモに参加していた同僚達が法律の変わった香港を恐れて国外に移住しました。(このこともまたそのうち書きます) 世の人間は政治の犠牲になる人は多いんですね。


って、今週末は美しい海を見ながらのハイキングの週末を書きたかったので、、この話は続きます。

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海でサメは嫌だけど、でもこのスリッパかわいいです💕